塗装ブースを作る【ネロの風】 ― 2025年04月26日 20:02
エアブラシを使うのに塗装ブースが必要なので作ってみた。
しょっちゅう使うものではないので畳んで片づけられるようにした。
おおよそのイメージ。

天板と側板、底板の三分割として側板は左・背・右の三枚をつないで折り畳めるようにする。
換気装置はパナソニックの27シリーズから樹脂製のものを選択。鋼板はエッジでけがをしそうなので。電源コード、スイッチは適当なものをどこかで買う。
材料は100均のMDF板(450×300mm 板厚約5mm)と角材(約11mm角)を使った。板をつぎ合わせて450mmの立方体ベースにしている。内寸(幅)が400mmくらいになるが、サイズを大きくすると材料費が跳ね上がる。500mm角くらいあると使い勝手がいいのかもしれない。
以下写真の製作物が小汚いのは当方の工作技術が稚拙だからである。
天板
排気口と取付穴をあけて縁を付け、内側にクッション材を貼る。

換気扇の取付面

内側(効果の程は不明だが吸入部周囲は角を面取)
側板
板と板を布(古着利用)でつないで折りたたむ構造。ヒンジ金具は加工と組立の精度が要求される。布だと隙間をふさぐこともできる。左右のヒンジ部分はたたんだときの厚さを考慮(かさ上げに角棒を接着)。内側に導風板(斜めの板)のガイドを接着。

広げた状態

畳んだ状態(左右の水色が布ヒンジ)
底板
側板を乗せるガイド(角棒)を接着。裏側に足(フェルトクッション)を貼る。

側板を載せる面

裏側
導風板ガイド
角棒と角棒で導風板(プラダン製)を挟む(奥側は布ヒンジ)。スポンジで押さえて、手前をフックで留める。

吹き返し防止板
プラダンを磁石で留める式。磁石を接着した角棒を側板上部に貼り付ける。プラダン側はヘアピンを使った。

使い方
1.使う場所に底板を置く。
2.側板を広げて乗せる。

3.導風板を乗せて留める。
4.吹き返し防止板を留める。

4.天板を乗せる。
5.全体をベルトで固定する。

6.使い終わったら分解して重ねてベルトで束ねる。

天板は正方形なので乗せる方向は四方選べる。使う場所によって排気口の向きを変えることができる。板をネジで固定したりしていないが、上に腰掛けでもしない限りつぶれることはない。頑丈にすると重くなってしまう。
スポンジ、フック、フェルトクッション、固定用ベルトなどほぼ全て100均。プラダンはホムセンで。
使用工具は丸ノコ、ドライバドリル、細工用ノコなど。木工に電動工具は必須だが騒音と掃除がネック。
接着は全て木工用ボンド(磁石はエポキシ)、塗布はシリコンスクレーパー(これも100均)が便利。
【模型】五式戦【ポリゴンの風】 ― 2025年04月20日 19:06
ルックバック(アニメ)の映り込みを羅列 ― 2024年12月28日 23:58
アニメルックバックのコメンタリーで映り込みについて触れられていたので該当箇所をリストしてみる(外光の反射や落ちる影は除く)。漏れはあるかもしれない。最後に見直して気づいたことをひとつ。
冒頭、4コマを描く藤野の部屋の窓。藤野の正面と左側。机上の鏡。
4コマを描き終わった机の天板(デスクライトほか)
4コマ漫画「ファーストキス」中のバックミラー
教室で「ファーストキス」掲載の学年新聞が配られたときの藤野の机の天板
京本に4コマを描かせることを告げられる職員室内のテレビ画面
京本の4コマが掲載された学年新聞を配布する教室のモニター画面(反射光だが窓枠の形がわかるので)
その学年新聞を見る藤野の目(学年新聞の形が映る)
そのときの藤野と隣の男子の机の天板
藤野の教室を外側から見たときの窓ガラス
「藤野の絵って普通だな」のあとの大勢の生徒たちの机の天板
藤野が帰宅する途中のアメンボがいる田んぼの水面
あぜ道を歩く藤野の周りの田んぼ
藤野の絵をほめるおばあちゃんの家にかかる絵
田植機が走る田んぼ
「京本のやつ」と言う藤野の周りの田んぼ
あぜ道を走る藤野の周りの田んぼ
藤野が立ち寄る本屋と両隣のガラス
店内スケッチブックを置いてある台
「一番はとにかく描け!バカ!」のあと机に向かう藤野の左のボックス天板と机の天板
先生がサメの説明をしている教室のモニター画面(窓枠)
夜にデスクライトだけで絵を描く藤野の部屋の窓ガラス
休み時間に友達二人に囲まれて藤野が絵を描く教室のモニター画面
東屋の藤野の場面のあと、移り変わる季節の中で絵を描く藤野の自室のボックス天板と机の天板
積み重なるスケッチのあとの風景(田んぼの水面)
友達に「キモがられちゃうよ」と言われた藤野の周りの机の天板
姉が自室に入ってきたときの窓ガラス
「いつまで漫画描いてんの」と言われたあと藤野の机の天板
その藤野の部屋を外から見ているときの部屋のガラス(藤野の前)、机の天板、右手の棚側面
「はーい静かに」と呼びかけられている生徒の机の天板
学年新聞を受け取る生徒の机の天板
教室の後の小さな水槽
学年新聞を見る藤野の目
教室のモニター画面
緑のパーカーを着て友達と談笑する藤野の机の天板
藤野の通う空手教室の窓ガラス
家族とテレビを見る藤野の目
髪をタオルで拭く藤野の前の鏡(ここの鼻歌は何?)
洗面台の横の洗濯機のふた
黒板に「卒業!!」と描いてある教室の机の天板、モニター画面
京本に卒業証書を届けるよう頼まれる藤野の背後の書棚
藤野に手渡される丸筒のバックにあるテレビ画面と書棚
藤野が玄関前に立っている京本の家の窓ガラス
京本の家のフローリングの床(藤野が京本宅に入ってから出るまで)
京本の部屋の前のフローリング(スケッチブックの山が映り込む)
京本の部屋の前で4コマ原稿を見つけた藤野の目
その原稿に漫画を描く藤野の目
京本宅から出てきて足早に歩く藤野の左手の家の2階の窓ガラス
京本が飛び出してきたときの隣家、カーポート上に見える2階の窓ガラス
京本に呼び止められて振り返る藤野の左前方の家の窓ガラス
「と・・・ぼ・・・みみみ」と発する京本の背後の窓ガラス
背中にサインを書いてもらっている京本の背後(画面左上)の窓ガラス
ランドセルを背負いなおす藤野の背後の窓ガラス
降り出した雨に濡れるアスファルト道路
濡れたあぜ道、水のたまっている田んぼ
帰宅した藤野の家のフローリング(廊下、階段、藤野の部屋)
藤野の中学の教室、机の天板、外から見た教室の窓ガラス
中学から帰宅する藤野の歩くあぜ道の周りの田んぼ
京本とふたりで描いている藤野の部屋の机、左のボックス天面
東京に出てきたふたりの歩く横断歩道近くのビル壁面(ガラス)
編集者にむかいあうふたりの周りのパーテション表面、テーブル天面、床面
漫画賞の結果を確認するコンピ二の床
コンビニ前の濡れたアスファルト
賞金を通帳にいれたことを報告しあう藤野の部屋の窓ガラス
「おごってあげる」と腕を抱えられる京本のうしろのテーブル天面
ふたりが遊びに出た街のビル壁面(ガラス)
ふたりが入ったハンバーガー屋のテーブルと床、書店の床
京本の手を引く藤野の左手側、反対側の建物(窓ガラス)
ふたりの乗る電車の床、車両内広告の表面
電車を外から見たときの窓
ミノムシがとりついた藤野の部屋の窓ガラス
京本が手にした「背景美術の世界」の中の作品(電話ボックス)
「背景美術の世界」を見る京本の目
ふたりが編集者と打ち合わせる喫茶店を外から見たときの窓ガラス
ふたりと編集者がすわるテーブル天面
藤野がひとりで編集者と打ち合わせる喫茶店にかかる絵の表面
原稿を見ながら電話をする編集者のめがね
額の右側を黄色い髪留めで留めた藤野の目(ペンタブレットが映る)
叫びながら描く藤野の目(ペンタブレット)
仕事部屋(マンション)の外、雪の降る夜のビル壁面(ガラス)
暗い部屋で編集者と電話しながらタブレットに描く藤野のテーブル天面、床面
事件のニュースを知った藤野が持つ母親からの着信を受けるスマホ(藤野の顔)
スマホが落ちる床
弔問に訪れた藤野が立つ京本の部屋の前の床
空想世界の京本宅のフローリング
京本が休憩する廊下の床
事件後の大学前の雪に濡れた地面、警察車両の窓ガラス
藤野の乗る救急車車内のモニター画面、キャビネット扉表面など
閉ざされた救急車の後部ハッチの窓ガラス
救急車の走る路面、走り去る救急車の後部ドア窓
帰宅した京本宅のフローリング
スクラップブックを開く京本の目
4コマ漫画を描き終えた京本の目
藤野が入った誰もいない京本の部屋のテーブル天面、窓の額縁(窓枠の影?)
「藤野ちゃんはなんで描いてるの?」のあと汗を流している藤野の机の天面、突っ伏している藤野のテーブル天面、お風呂の鏡、図書室の机の天面、夜の藤野の部屋の窓ガラス、左手で頭を抱える藤野の机の天面と正面の窓の額縁、ペンをとる藤野の机の天面と背後の押入の扉、ネームを食い入るように読む京本の目、感嘆する京本の横のテーブル天面、ネームとキャラクターデザインののるテーブル天面、京本と漫画を描く藤野の正面の窓の額縁と床面、ペンとインクを試すテーブル天面、ダリの髭を描いた藤野の顔を映す鏡、インクをこぼした藤野の背後と右手の窓ガラス、原稿に消しゴムをかける藤野の机の天面、夜食のパスタを持ってきたテーブル天面(影?)、京本の布団を持ち込んだ部屋で原稿を仕上げる藤野の正面の窓の額縁
仕事部屋に帰ってきてセロハンテープを切るテーブルの天面
ペンをとって描き始めるタブレット表面
4コマの原稿を貼った窓を外から見たガラス面
仕事を終えて部屋を出る藤野が映るガラス窓
ひとつ気づいたこと。
藤野の部屋のドアノブ、外側は握り玉、内側はレバーになっている。
京本の部屋は内外とも握り玉、空想世界だとレバー(京本宅の他のドアも)。レバーは藤野の世界を示すということか。
冒頭、4コマを描く藤野の部屋の窓。藤野の正面と左側。机上の鏡。
4コマを描き終わった机の天板(デスクライトほか)
4コマ漫画「ファーストキス」中のバックミラー
教室で「ファーストキス」掲載の学年新聞が配られたときの藤野の机の天板
京本に4コマを描かせることを告げられる職員室内のテレビ画面
京本の4コマが掲載された学年新聞を配布する教室のモニター画面(反射光だが窓枠の形がわかるので)
その学年新聞を見る藤野の目(学年新聞の形が映る)
そのときの藤野と隣の男子の机の天板
藤野の教室を外側から見たときの窓ガラス
「藤野の絵って普通だな」のあとの大勢の生徒たちの机の天板
藤野が帰宅する途中のアメンボがいる田んぼの水面
あぜ道を歩く藤野の周りの田んぼ
藤野の絵をほめるおばあちゃんの家にかかる絵
田植機が走る田んぼ
「京本のやつ」と言う藤野の周りの田んぼ
あぜ道を走る藤野の周りの田んぼ
藤野が立ち寄る本屋と両隣のガラス
店内スケッチブックを置いてある台
「一番はとにかく描け!バカ!」のあと机に向かう藤野の左のボックス天板と机の天板
先生がサメの説明をしている教室のモニター画面(窓枠)
夜にデスクライトだけで絵を描く藤野の部屋の窓ガラス
休み時間に友達二人に囲まれて藤野が絵を描く教室のモニター画面
東屋の藤野の場面のあと、移り変わる季節の中で絵を描く藤野の自室のボックス天板と机の天板
積み重なるスケッチのあとの風景(田んぼの水面)
友達に「キモがられちゃうよ」と言われた藤野の周りの机の天板
姉が自室に入ってきたときの窓ガラス
「いつまで漫画描いてんの」と言われたあと藤野の机の天板
その藤野の部屋を外から見ているときの部屋のガラス(藤野の前)、机の天板、右手の棚側面
「はーい静かに」と呼びかけられている生徒の机の天板
学年新聞を受け取る生徒の机の天板
教室の後の小さな水槽
学年新聞を見る藤野の目
教室のモニター画面
緑のパーカーを着て友達と談笑する藤野の机の天板
藤野の通う空手教室の窓ガラス
家族とテレビを見る藤野の目
髪をタオルで拭く藤野の前の鏡(ここの鼻歌は何?)
洗面台の横の洗濯機のふた
黒板に「卒業!!」と描いてある教室の机の天板、モニター画面
京本に卒業証書を届けるよう頼まれる藤野の背後の書棚
藤野に手渡される丸筒のバックにあるテレビ画面と書棚
藤野が玄関前に立っている京本の家の窓ガラス
京本の家のフローリングの床(藤野が京本宅に入ってから出るまで)
京本の部屋の前のフローリング(スケッチブックの山が映り込む)
京本の部屋の前で4コマ原稿を見つけた藤野の目
その原稿に漫画を描く藤野の目
京本宅から出てきて足早に歩く藤野の左手の家の2階の窓ガラス
京本が飛び出してきたときの隣家、カーポート上に見える2階の窓ガラス
京本に呼び止められて振り返る藤野の左前方の家の窓ガラス
「と・・・ぼ・・・みみみ」と発する京本の背後の窓ガラス
背中にサインを書いてもらっている京本の背後(画面左上)の窓ガラス
ランドセルを背負いなおす藤野の背後の窓ガラス
降り出した雨に濡れるアスファルト道路
濡れたあぜ道、水のたまっている田んぼ
帰宅した藤野の家のフローリング(廊下、階段、藤野の部屋)
藤野の中学の教室、机の天板、外から見た教室の窓ガラス
中学から帰宅する藤野の歩くあぜ道の周りの田んぼ
京本とふたりで描いている藤野の部屋の机、左のボックス天面
東京に出てきたふたりの歩く横断歩道近くのビル壁面(ガラス)
編集者にむかいあうふたりの周りのパーテション表面、テーブル天面、床面
漫画賞の結果を確認するコンピ二の床
コンビニ前の濡れたアスファルト
賞金を通帳にいれたことを報告しあう藤野の部屋の窓ガラス
「おごってあげる」と腕を抱えられる京本のうしろのテーブル天面
ふたりが遊びに出た街のビル壁面(ガラス)
ふたりが入ったハンバーガー屋のテーブルと床、書店の床
京本の手を引く藤野の左手側、反対側の建物(窓ガラス)
ふたりの乗る電車の床、車両内広告の表面
電車を外から見たときの窓
ミノムシがとりついた藤野の部屋の窓ガラス
京本が手にした「背景美術の世界」の中の作品(電話ボックス)
「背景美術の世界」を見る京本の目
ふたりが編集者と打ち合わせる喫茶店を外から見たときの窓ガラス
ふたりと編集者がすわるテーブル天面
藤野がひとりで編集者と打ち合わせる喫茶店にかかる絵の表面
原稿を見ながら電話をする編集者のめがね
額の右側を黄色い髪留めで留めた藤野の目(ペンタブレットが映る)
叫びながら描く藤野の目(ペンタブレット)
仕事部屋(マンション)の外、雪の降る夜のビル壁面(ガラス)
暗い部屋で編集者と電話しながらタブレットに描く藤野のテーブル天面、床面
事件のニュースを知った藤野が持つ母親からの着信を受けるスマホ(藤野の顔)
スマホが落ちる床
弔問に訪れた藤野が立つ京本の部屋の前の床
空想世界の京本宅のフローリング
京本が休憩する廊下の床
事件後の大学前の雪に濡れた地面、警察車両の窓ガラス
藤野の乗る救急車車内のモニター画面、キャビネット扉表面など
閉ざされた救急車の後部ハッチの窓ガラス
救急車の走る路面、走り去る救急車の後部ドア窓
帰宅した京本宅のフローリング
スクラップブックを開く京本の目
4コマ漫画を描き終えた京本の目
藤野が入った誰もいない京本の部屋のテーブル天面、窓の額縁(窓枠の影?)
「藤野ちゃんはなんで描いてるの?」のあと汗を流している藤野の机の天面、突っ伏している藤野のテーブル天面、お風呂の鏡、図書室の机の天面、夜の藤野の部屋の窓ガラス、左手で頭を抱える藤野の机の天面と正面の窓の額縁、ペンをとる藤野の机の天面と背後の押入の扉、ネームを食い入るように読む京本の目、感嘆する京本の横のテーブル天面、ネームとキャラクターデザインののるテーブル天面、京本と漫画を描く藤野の正面の窓の額縁と床面、ペンとインクを試すテーブル天面、ダリの髭を描いた藤野の顔を映す鏡、インクをこぼした藤野の背後と右手の窓ガラス、原稿に消しゴムをかける藤野の机の天面、夜食のパスタを持ってきたテーブル天面(影?)、京本の布団を持ち込んだ部屋で原稿を仕上げる藤野の正面の窓の額縁
仕事部屋に帰ってきてセロハンテープを切るテーブルの天面
ペンをとって描き始めるタブレット表面
4コマの原稿を貼った窓を外から見たガラス面
仕事を終えて部屋を出る藤野が映るガラス窓
ひとつ気づいたこと。
藤野の部屋のドアノブ、外側は握り玉、内側はレバーになっている。
京本の部屋は内外とも握り玉、空想世界だとレバー(京本宅の他のドアも)。レバーは藤野の世界を示すということか。
【感想】ルックバック(アニメ) ― 2024年12月08日 09:31
アニメ『ルックバック』を観て思ったことを書いてみる。
アニメ映画を含めた『ルックバック』の感想や考察。勘違いや誤解があるかもしれないけれど。
1.天才の4コマ
藤野が4年生の学年新聞に描いた4コマ「ファーストキス」がアニメでショートストーリーのように描かれていた。
あのアイデアを4コマ漫画にしたら、普通はアニメのようになるんじゃないか。
・瀕死の男女が来世での再会を誓い合う。
・生まれ変わった女が男を待っている。
・隕石に生まれ変わった男が地球目指して飛んでくる。
・地球が破壊される。
起承転結がきっちりできている。
人が天体に生まれ変わるという意外性があり、最後に大規模破壊のカタルシスがある。最後の破壊をどう描くか、考えどころだと思う。理不尽に巻き込まれる人々を描くのか、女や男の視点を入れるのか、といった感じか。
ところが藤野は隕石となった男が飛んでくるところで終わらせている。オチを見せない。
結末を明示しないで終わる物語があって、絶望感をただよわせたり希望を持たせたり謎を解決しないままにしたりするのだけど、この4コマは結末が分かり切っているのでそのような読者の想像に委ねて終わるような話ではない。
オチを見せなくてどうなったか。「地球やばい」「みんな死んでしまう」というところで終わるのだ。緊迫感というほどではないにしろ、ちょっとした緊張感がある。コメディを緊張感を持たせて終わらせている。
これは尋常ではない。なぜ最後のオチを地球の破壊にしなかったのか。小学4年のセンスではないと思う。アニメでは藤野が考えに考えている様子を見せていたが、簡単に思いつける構成ではない。自身で「まあまあウマくできたな〜」というだけのことはある。
藤野は天才なんだという、ここはアニメを観なければ気づかなかった。
そしてこうも思う。
この4コマは藤野と京本の運命を描いていたのではないかとも思う。
親密なふたりが一度別れ、一方が再会を待ち望んでいるが、理不尽につぶされてしまう。4コマの成長した女の子は20歳、これは事件が起きたときの藤野と京本と同い年じゃないのか。またドライブ中の女の子が持っていた蝶の表紙の日記手帳、あれはスケッチブックや京本が藤野の4コマを集めていたスクラップブックを思わせる。「またわたしとキスをして」は「また一緒に漫画を」と言っているようだ。
2.出会い
卒業証書を京本の家に届けるよう頼まれた藤野は嫌がっているのだが、これは藤野の韜晦とみる。京本に会ってみたいと思っている筈だからだ。藤野は自分の筆を折らせた相手から逃げる性格ではない。京本の絵を見てがむしゃらに絵の練習を続けるやつだ。
京本の家で京本がいることに気づいた藤野は家の中に上がり込む。
そのまま証書を置いて帰る、あるいは玄関で出てくるまで呼ぶ、ということをしない。京本に会いに来ているのだから。
そして廊下に積み上げられたスケッチブックの山の中を歩いていく。
たじろいで引き下がったりしない。京本に向かって進む姿に何か藤野の強さみたいなのを感じることができたのはアニメで実際に動いている姿を見たから、かもしれない。部屋の前で4コマ漫画を描いたのはスケッチブックの山の中で高揚したものがあったからかもしれない。
藤野に会った京本の表情、動きは素晴らしい。京本の魅力が動きと声で何百%増にもなっている。「藤野せんせえ」から「またね」まで全部本当に素晴らしい。アニメでは京本をいかに魅力的に描くかに力が注がれている様子。それにより藤野の幸福感を表している。
3.踊る藤野
京本の家から帰る藤野の動き。
自分を打ちのめした京本にほめられ持ち上げられ、漫画を描くモチベーションが吹き上がっているのがわかる。
いままでの鬱屈が土砂降りの雨で表現されその中を飛ぶように進む。スキップから踊るような動きになっていく、藤野の高揚した感情の爆発が表れていた。めちゃくちゃ調子に乗っている、とも言える。
晴れ渡る空の下、ではないのが藤野の感情の激しさが出ているように思う。
天候についてもうひとつ。ふたりが漫画賞の結果のでている雑誌を確認するためにコンビニへ向かうとき激しく雪が降っていた。「藤野キョウ」が世に出た日だというのになぜ悪天候と思う。行く末の暗示なのか、ふたりのひたむきさを表しているのか。
4.京本と描く
中学に入って藤野と京本の共同作業が始まるのだが、考えてみると藤野のファンで彼女の漫画をみたいと言っていただけの京本が制作に参加する理由はない。
ネームを完成させた藤野がそれを京本の家に持ってくる、という流れだったのに、京本を自分の部屋に引っ張り込んで漫画を描かせている。「学校行ってないから楽勝です」という京本の姿は幸せそうだが、京本が自分からすすんで描きだしたわけではないだろう。藤野が賞に出す漫画を考えてると言ったとき、京本はただ藤野の作品を見たいと言うだけで自分描いてみたいというようなことは言っていない。
いったいなぜ京本が藤野とふたりで漫画を描くことになったのか。
京本に近くにいてほしいと藤野が願ったからだ。自分を認めてくれる存在が欲しかったのだ。6年の時漫画をやめたのは、京本に追いつけない、と感じたこともあるけれど周りに認めてもらえないことの方が理由として大きかったのではないか。友達や家族に否定され「なにやってるんだろう」とさすがに小学6年ではくじけてしまう。
自分を「漫画の天才」とたたえてくれる京本に作品を見てほしいと思い、もしかしたらネームを描いているうちに京本の手を借りることを考えついて自宅に呼んだのかもしれない。
そしてネーム原稿を読んだ京本の笑顔を見て、藤野はどうしても京本が欲しくなってしまった。藤野は、京本自身が絵を描ける人間だからいっしょに描いてほしいという理由を付けて共同制作に持ち込んだ。そうすれば漫画を描いている間は京本と一緒にいられる。京本がいれば漫画を描き続けられる。手を借りるだけではおさまらない感情にとりつかれてしまった。
京本は藤野の太陽になったのだ。
漫画を描いて京本と過ごす。藤野にとってそれが幸福な人生を生きること。
京本のおかげで漫画を描きたいという望みは叶えられる。そして京本と漫画を描くことで藤野はその先の夢を抱いた(のちに京本の死でこの夢は潰えるのだが)。
ふたりは完成した応募原稿を出版社に持ち込んでいる。郵送ではなく、藤野ひとりでもなく、わざわざふたりで直接持ち込んでいる。
応募原稿を持ち込む姿を京本に見てほしい、隣にいてくれたら自信を支えてくれると藤野は思ったのではないか。
後に賞をとり藤野のおごりで街に遊びに行くのもためらう京本が、いきなり東京の出版社に出向くなんてできるわけがない。藤野が強引に京本の手を取って引っ張っていったのだ。一緒にいてくれなければ困る、だから大切な京本を(本人は嫌がっているのに)連れて行く藤野。傲慢で自分勝手な藤野。
「完成するのに一年はかけちゃって」という言葉、謙遜のようだけど自分たちで1年で仕上げましたと言っているようにも聞こえる。学年新聞の4コマを「5分でかいた」とのたまったように。そして「背景なんて全部この子なんです」は京本を自慢しているのではないか。「ウチの京本」を見せに行く、というのもふたりで行った理由かもしれない(当の京本は顔も上がられないでいるけれど)。
韜晦の中に自信がちらちら見え隠れする、藤野らしい姿だと思う。
5.お礼は10万
漫画で賞を取り、街に遊びに行った帰りの列車内。藤野が「お礼は10万」と言った後にアニメではウソだとバラしている。原作ではなかったフォロー。
これ、フォローしておかないと藤野が鬼畜に見えるなんて理由ではないだろう。藤野が本気で言っていると受け取る読者や観客はいない。でも京本だけは真に受けている。言いっぱなしでは京本がかわいそう、なので京本を安心させるためにアニメではフォローの言葉を追加したのではないか。笑う京本の姿を見て観客も安心する。
しかし「部屋から出してくれてありがとう」と言われて素直に「京本のおかげで漫画を描くことができて賞までとれたんだよ。部屋から出てくれて本当にありがとう」などと答えていれば見ている方はもっと気分がよかった筈(10万は作中のギャグでもあるのでそういうわけにもいかないのか)。藤野はここでも素直に感情を表現していない。人にうまく気持ちを伝えられないなどというナイーブな藤野ではない。藤野のプライドの高さみたいなものを感じる。
6.幸福な日々
中学から高校の間にふたりは読み切りを7本発表している。
「メタルパレード」に1年かけたことを考えると毎日漫画を描いていたのではないか。毎日ふたりで一緒に過ごして漫画を描き続ける。藤野はもちろん幸せだ。京本も楽しい時間を過ごしていたのだが、外の世界の広がりを知り突き進む藤野の背中が遠くなるのを感じるようになる。アニメでふたりのつないだ手が伸びていく表現は観ているこちらも不安を感じた。事件の一報を受けた藤野の回想の中で京本は「もっと絵上手くなりたい」と言っている。単純な画力、事物を写し取ることは京本の方が上なんだけれど、藤野の絵の表現力に京本は自分に足りないものを見ていたのか。京本は先を行く藤野に追いつくために美大を志したのかもしれない。
あぜ道で京本が美大に行くことを告げたとき、藤野は例によってひねた言葉を発する。アニメではふたりの間を立木で割っている。「まあいいんじゃない」「私についてくれば全部うまくいく」などと藤野はここでもはっきり本心(離れないで)を出さない言い方をする。しかし京本が「藤野ちゃんにたよらないでひとりのちからで生きてみたい」と言ったところで藤野は感情的になる。それは藤野も京本に頼ることができなくなることだから。そのことをはっきり告げられたから。藤野は京本にそんなことできるわけがないと強い言葉を投げるのだが、「もっと絵上手くなりたいもん」と京本に言われて沈黙してしまう。ここでふたりは立木の同じ側にいる。絵が上手くなりたいという思いは同じだから。藤野はその思いを否定して京本を自分の近くに留めることはできない。
連載にあたって背景はアシスタントに任せることになるのだけれど、準入選の講評で高く評価されていたくらいだから作品の魅力を失いかねないし、(藤野ひとりが探すわけではないにしろ)京本の代わりはそう簡単に見つからないだろうと思う。それを藤野はなんとかしようとするわけで、これも漫画を描くために必要な力なんだろう。
7.シャークキック
連載漫画を描く藤野の表情、小学4年で京本に負けじとスケッチブックにペンを走らせていた姿を彷彿とさせる。当時のように、ひとりで漫画を描きながらどこかで京本を意識しているということを表現しているのではないかと思うのだ。
事件が起きる日、マンションの一室でペンを動かしながらアシスタントの件で通話する藤野は貧乏揺すりをしている。何をいらついているのか。京本のことをどこかで考えているに決まっているのだ。藤野の髪がぼさぼさに伸びているのも忙しさの表現かもしれないが、京本(ぼさぼさ頭)を忘れない、いつも意識していたいという思いがあるのではないか。
アニメではテレビで事件を知り京本に電話がつながらないでいるとき、母親からの着信音が鳴る。あれはわかってても驚く。藤野の耳に響いた音、悲報が届く恐怖を表しているのだろう。そして回想。ふたりで一緒に超作画で連載をやりたいという夢。京本と漫画を描いて抱くことができた夢。京本と別れてひとりで描いている間も思い続けていたことがここでわかる。それが潰えてしまった。
事件の経過がテレビの速報から新聞報道、「被告」と表現されているので事件後数ヶ月以上あとであろう雑誌記事で示される。「『シャークキック』休載のお知らせ」は事件後数週間後だろうか。藤野は京本の通夜に訪れているので時系列が少し乱れる印象だ。
8.京本の部屋の前で見た世界
スケッチブックの上のジャンプを手に取った藤野は、ときに逆向きにページをめくっている。過去の記憶をたぐっているように。ページの間に「出てこないで」の4コマが挟まれている。この4コマは現実のものだろうか。記憶を遡った藤野が、京本を外に出すきっかけになったものを幻視しているのではないか。ジャンプのページから顔を上げたところから藤野の目は現実から離れている。引き裂いた4コマがくぐる扉のノブは実際には握り玉なのにレバーになっている。非現実の扉であり、そこをくぐることのできる4コマも非現実の存在なのだ。
当方は藤野の夢想と解釈しているが、並行世界とも考えることができる世界が現れている。ただしいくつものあり得た並行世界の中からこの世界を選び取ったのは藤野だ。この世界には藤野の思いが反映されている。そして登場する「京本」と「藤野」はともに京本であり藤野でもある。
京本を失った悲しみから自責の念にかられた藤野は現実を否定しようとしたのだが、「京本」は現実をなぞる行動をする。せめて事件だけでも起きないようにできなかったのか。藤野は現実のできごと全てをこの世界でも再現しようとしている。今までの人生を否定できない、京本と過ごした日々をなかったことにはできない。ならば最後の瞬間に京本を救うことだけを願う。それは京本によって藤野が救われるというイメージを作り出すことでもある。アニメでは原作漫画と違い、夢想世界では「京本」は左利きのままなので藤野自身を「京本」の中に託しているようには見えない。でも藤野はふたたび漫画に向かうために京本の手を借りていると思うのだ。漫画をあきらめた藤野を京本が救う、そのイメージを藤野の精神は「京本」を救う「藤野」の姿で見せている。
9.救急車の行く先
救急車で運ばれる「藤野」を見送る「京本」の姿は、ふたりが最初に出会い別れるときの様子を思い起こさせる。しかしあのときとは違う。「藤野」はアシスタントやってねと「京本」に言葉をかけているが、「京本」は答えていないのだ。この場面は、再び漫画を描くという意志と喜びを表現しているだけではない。仰臥した人を乗せて走り去る車を静かに見送る姿は、別の状況を連想させるのではないか。
「藤野」を乗せた救急車は大学の前に立つ「京本」から見て向こう側の車線を走っていく。モデルとなった大学の前(西側)には南北(正確にはやや南西から北東向き)方向に二車線の道路が通っている。大学は正面を西に向けているので救急車は南北に走る道路の西側の車線を北に向かったことになる。この道路を道なりに進み、左へ向かい到着するのは山形市斎場。救急車の向かう先は病院ではないのだ。この夢想世界では「京本」も「藤野」もそれぞれ京本であり藤野でもある存在だと解釈しているので、あの姿は藤野が斎場に向かう京本の亡骸を見送っている姿とも見ることができるのだ(ちなみに近隣の総合病院である山形大学付属病院は逆方向、南向きに走った先にある)。
一緒に漫画を描きたい、また漫画を描きたいという願いを表しながら、藤野の精神は京本の死を受け入れ、彼の世へ向かう京本を見送ろうとしている。
10.帰宅する京本
雪道をはねるように帰宅する「京本」の動きがかわいい。
あの日自宅へ向かう喜びにあふれた藤野の姿ほど大きな動きではないが嬉しそうな雰囲気が感じられる。小学校のころ好きだった4コマを描いていた「藤野」に出会えた喜び。漫画を描く希望を得た藤野の精神が表現する喜びの姿。しかしおそらく現実の藤野はそのことをまだ認識できていない。自身で選びとった希望はまだ意識の奥底にある。
「京本」は藤野の4コマが貼られたスクラップブックを開く。本編に出てきた作品が並べられているが、掲載順になっていない。最初に京本の作品と並べられた「奇策士ミカ」と最後に京本といっしょに掲載された「真実」が同じページに貼られている。このページは京本を意識しながらひとりで描き続けた日々の象徴だ。そこから現れた白紙の4コマ原稿。
白紙の4コマ原稿を手にした姿、楽しそうに鉛筆を動かす様子はあの日京本の部屋の前で「出てこないで」を描いた藤野に似ている。そしてあの日と同じように、描き上げた4コマを扉の向こうに送る。「背中を見て」と京本が言っている、そう藤野は夢想してこの漫画を「京本」に描かせた。「奇策士ミカ」と「真実」、ふたつの4コマにはさまれた時間。ひとりで絵を描くことに没頭した日々の中から現れ描かれた4コマ。その日々を振り返って、思い出してという意味もあるのだろう。
「背中を見て」は現実の世に存在するはずのない漫画だ。自身の精神の奥で描かれたその意味を理解できたのか。藤野は奇跡のようなできごとが描かれた4コマを見て驚き、目を見開いた。扉の下をくぐって現れた京本が助かっている4コマ。扉の向こうに何かがある、もしかしたら絵を描いている京本がいるのではないか、京本の死をひっくり返す奇跡が起きているのかもしれない。藤野は何かを期待して扉を開けた。
11.部屋の中
藤野は扉を開けるがそこは京本のいない空間。奇跡はない。ただ京本のいない現実がある。
そこで藤野は、京本が自分の作品を何冊も買い雑誌のアンケートを送っていたことを知る。扉に掛けた馬鹿でかいサインの入った半纏。「藤野ちゃんに頼らないで生きてみたい」と言った京本が藤野を思い応援していたことを知る。京本にとって自身がどういう存在だったのか、自分にとって京本がどういう存在だったのか、思い起こす。
ここで画面はホワイトアウトしアニメのキャラクターである藤野の顔が描かれ始める。この絵は誰が描いているのか。藤野や京本ではない。それは「アニメーター」だと思う。このあと藤野の顔が消え、白い背景の中で小学生の藤野が背を向けて漫画を描いている姿が現れる。その藤野の姿にアニメーター自身を重ねているのだ。
「じゃあ藤野ちゃんはなんで描いてるの?」という藤野に向けられた京本の問い、もう少し言うと原作者の藤本タツキの問いを作品を作っているアニメーターが受け取っている、そのことを示すために作中のキャラクターを描く誰かがいることを見せたのだと思う。藤野の顔が描かれているときに発せられるグチのような藤野の言葉もアニメーターの言葉なのだろう。そう考えるとこのあとの回想で描かれるふたりの姿もアニメ制作にたずさわる人々にも見えてくる。作品を制作する希望や喜びを表しているように。
コミックスを読み終えて続きを待つ誰かに京本を重ねて藤野は立ち上がり漫画を描きに戻っていく。区切りがついたわけでも割り切れたわけでもないだろうけれど。
12.藤野にとっての京本
藤野にとって京本はなんだったのだろうと思う。
作中、京本に対して感謝を表したりねぎらいの言葉をかけている様子はなくて「私の背中を見て成長するんだな」などと小面憎いことを言ってたりするのだが、大切な人間だと思っているのは間違いない。友人、仲間、ライバル。全部のようで全部合わせたものを越えた何かがあると思えてならない。
アニメでは、手を引きながら振り返る藤野の目に映った京本があまりに美しく輝いてみえるのだ。尋常ではない感情を表現してないか。それは何。
藤野は京本を愛していたのではないのか。原作でもアニメでもいわゆる百合的なものは全く匂わせていない。そのような恋愛感情とは違う、深い愛情を抱いていたような気がする。自身に幸福をもたらしてくれる、人生に意味を意味を与えてくれる相手に対する愛情と言っていいのか。
主題歌が聖歌を思わせる楽曲になっていて至上の愛(アメイジング・グレイス)あたりを思い起こしたりするのだが。
13.生きていた京本
作品本編と関係ない話。
映画館に行く前は原作は読んでいたけれどアニメについてはPVも観てなかった。Youtubeでこのアニメはすごいというコメントの動画を見ただけだった。
で、映画館から帰ってきてから舞台挨拶の動画を見つけて視聴したのだが、一瞬だけれど強烈な喜びの感情を味わった。
主演のふたりが登場して話し出したときのこと。
「ああよかった。京本生きてた」
などと感動していたのだ。
いや京本と違うし、とすぐに我に返ったのだが、今まで経験したことのない感情だった。藤野に感情移入していたのか京本に感情移入していたのか混乱したが、とにかくアニメ作中の京本の魅力がすばらしかったという話。
14.本編+
本作はアマゾンのプライムビデオで配信され、そちらも繰り返し観た。途中で戻したり止めたりできるので映画館では気づけなかったことに気づけたりもした。
さて配信では音声と字幕が多国語対応しているが、音声の「日本語の説明付き」がすばらしい。
場面説明のナレーションなのだが、ただの説明ではない。
まず台本がよくできている。本編の邪魔にならないどころか、ぼんやり見逃していたところに気づかせてくれる。そしてナレーションが絶品。落ち着いた声質で抑揚を押さえているけれど情感がたっぷり込められている。作品の理解と没入感が深まる。すばらしい。
ちなみに映画館ではオーディオコメンタリー付きの上映があったが監督と原動画担当の話で、リピーター向けボーナスのようなものだった(話は面白かった)。また上映期間終わり近くに監督や出演者のインタビュー映像付で上映されたようだが未視聴。ディスクが発売されたらナレーションやコメンタリーと併せて収録されるのだろうか。
アニメ映画を含めた『ルックバック』の感想や考察。勘違いや誤解があるかもしれないけれど。
1.天才の4コマ
藤野が4年生の学年新聞に描いた4コマ「ファーストキス」がアニメでショートストーリーのように描かれていた。
あのアイデアを4コマ漫画にしたら、普通はアニメのようになるんじゃないか。
・瀕死の男女が来世での再会を誓い合う。
・生まれ変わった女が男を待っている。
・隕石に生まれ変わった男が地球目指して飛んでくる。
・地球が破壊される。
起承転結がきっちりできている。
人が天体に生まれ変わるという意外性があり、最後に大規模破壊のカタルシスがある。最後の破壊をどう描くか、考えどころだと思う。理不尽に巻き込まれる人々を描くのか、女や男の視点を入れるのか、といった感じか。
ところが藤野は隕石となった男が飛んでくるところで終わらせている。オチを見せない。
結末を明示しないで終わる物語があって、絶望感をただよわせたり希望を持たせたり謎を解決しないままにしたりするのだけど、この4コマは結末が分かり切っているのでそのような読者の想像に委ねて終わるような話ではない。
オチを見せなくてどうなったか。「地球やばい」「みんな死んでしまう」というところで終わるのだ。緊迫感というほどではないにしろ、ちょっとした緊張感がある。コメディを緊張感を持たせて終わらせている。
これは尋常ではない。なぜ最後のオチを地球の破壊にしなかったのか。小学4年のセンスではないと思う。アニメでは藤野が考えに考えている様子を見せていたが、簡単に思いつける構成ではない。自身で「まあまあウマくできたな〜」というだけのことはある。
藤野は天才なんだという、ここはアニメを観なければ気づかなかった。
そしてこうも思う。
この4コマは藤野と京本の運命を描いていたのではないかとも思う。
親密なふたりが一度別れ、一方が再会を待ち望んでいるが、理不尽につぶされてしまう。4コマの成長した女の子は20歳、これは事件が起きたときの藤野と京本と同い年じゃないのか。またドライブ中の女の子が持っていた蝶の表紙の日記手帳、あれはスケッチブックや京本が藤野の4コマを集めていたスクラップブックを思わせる。「またわたしとキスをして」は「また一緒に漫画を」と言っているようだ。
2.出会い
卒業証書を京本の家に届けるよう頼まれた藤野は嫌がっているのだが、これは藤野の韜晦とみる。京本に会ってみたいと思っている筈だからだ。藤野は自分の筆を折らせた相手から逃げる性格ではない。京本の絵を見てがむしゃらに絵の練習を続けるやつだ。
京本の家で京本がいることに気づいた藤野は家の中に上がり込む。
そのまま証書を置いて帰る、あるいは玄関で出てくるまで呼ぶ、ということをしない。京本に会いに来ているのだから。
そして廊下に積み上げられたスケッチブックの山の中を歩いていく。
たじろいで引き下がったりしない。京本に向かって進む姿に何か藤野の強さみたいなのを感じることができたのはアニメで実際に動いている姿を見たから、かもしれない。部屋の前で4コマ漫画を描いたのはスケッチブックの山の中で高揚したものがあったからかもしれない。
藤野に会った京本の表情、動きは素晴らしい。京本の魅力が動きと声で何百%増にもなっている。「藤野せんせえ」から「またね」まで全部本当に素晴らしい。アニメでは京本をいかに魅力的に描くかに力が注がれている様子。それにより藤野の幸福感を表している。
3.踊る藤野
京本の家から帰る藤野の動き。
自分を打ちのめした京本にほめられ持ち上げられ、漫画を描くモチベーションが吹き上がっているのがわかる。
いままでの鬱屈が土砂降りの雨で表現されその中を飛ぶように進む。スキップから踊るような動きになっていく、藤野の高揚した感情の爆発が表れていた。めちゃくちゃ調子に乗っている、とも言える。
晴れ渡る空の下、ではないのが藤野の感情の激しさが出ているように思う。
天候についてもうひとつ。ふたりが漫画賞の結果のでている雑誌を確認するためにコンビニへ向かうとき激しく雪が降っていた。「藤野キョウ」が世に出た日だというのになぜ悪天候と思う。行く末の暗示なのか、ふたりのひたむきさを表しているのか。
4.京本と描く
中学に入って藤野と京本の共同作業が始まるのだが、考えてみると藤野のファンで彼女の漫画をみたいと言っていただけの京本が制作に参加する理由はない。
ネームを完成させた藤野がそれを京本の家に持ってくる、という流れだったのに、京本を自分の部屋に引っ張り込んで漫画を描かせている。「学校行ってないから楽勝です」という京本の姿は幸せそうだが、京本が自分からすすんで描きだしたわけではないだろう。藤野が賞に出す漫画を考えてると言ったとき、京本はただ藤野の作品を見たいと言うだけで自分描いてみたいというようなことは言っていない。
いったいなぜ京本が藤野とふたりで漫画を描くことになったのか。
京本に近くにいてほしいと藤野が願ったからだ。自分を認めてくれる存在が欲しかったのだ。6年の時漫画をやめたのは、京本に追いつけない、と感じたこともあるけれど周りに認めてもらえないことの方が理由として大きかったのではないか。友達や家族に否定され「なにやってるんだろう」とさすがに小学6年ではくじけてしまう。
自分を「漫画の天才」とたたえてくれる京本に作品を見てほしいと思い、もしかしたらネームを描いているうちに京本の手を借りることを考えついて自宅に呼んだのかもしれない。
そしてネーム原稿を読んだ京本の笑顔を見て、藤野はどうしても京本が欲しくなってしまった。藤野は、京本自身が絵を描ける人間だからいっしょに描いてほしいという理由を付けて共同制作に持ち込んだ。そうすれば漫画を描いている間は京本と一緒にいられる。京本がいれば漫画を描き続けられる。手を借りるだけではおさまらない感情にとりつかれてしまった。
京本は藤野の太陽になったのだ。
漫画を描いて京本と過ごす。藤野にとってそれが幸福な人生を生きること。
京本のおかげで漫画を描きたいという望みは叶えられる。そして京本と漫画を描くことで藤野はその先の夢を抱いた(のちに京本の死でこの夢は潰えるのだが)。
ふたりは完成した応募原稿を出版社に持ち込んでいる。郵送ではなく、藤野ひとりでもなく、わざわざふたりで直接持ち込んでいる。
応募原稿を持ち込む姿を京本に見てほしい、隣にいてくれたら自信を支えてくれると藤野は思ったのではないか。
後に賞をとり藤野のおごりで街に遊びに行くのもためらう京本が、いきなり東京の出版社に出向くなんてできるわけがない。藤野が強引に京本の手を取って引っ張っていったのだ。一緒にいてくれなければ困る、だから大切な京本を(本人は嫌がっているのに)連れて行く藤野。傲慢で自分勝手な藤野。
「完成するのに一年はかけちゃって」という言葉、謙遜のようだけど自分たちで1年で仕上げましたと言っているようにも聞こえる。学年新聞の4コマを「5分でかいた」とのたまったように。そして「背景なんて全部この子なんです」は京本を自慢しているのではないか。「ウチの京本」を見せに行く、というのもふたりで行った理由かもしれない(当の京本は顔も上がられないでいるけれど)。
韜晦の中に自信がちらちら見え隠れする、藤野らしい姿だと思う。
5.お礼は10万
漫画で賞を取り、街に遊びに行った帰りの列車内。藤野が「お礼は10万」と言った後にアニメではウソだとバラしている。原作ではなかったフォロー。
これ、フォローしておかないと藤野が鬼畜に見えるなんて理由ではないだろう。藤野が本気で言っていると受け取る読者や観客はいない。でも京本だけは真に受けている。言いっぱなしでは京本がかわいそう、なので京本を安心させるためにアニメではフォローの言葉を追加したのではないか。笑う京本の姿を見て観客も安心する。
しかし「部屋から出してくれてありがとう」と言われて素直に「京本のおかげで漫画を描くことができて賞までとれたんだよ。部屋から出てくれて本当にありがとう」などと答えていれば見ている方はもっと気分がよかった筈(10万は作中のギャグでもあるのでそういうわけにもいかないのか)。藤野はここでも素直に感情を表現していない。人にうまく気持ちを伝えられないなどというナイーブな藤野ではない。藤野のプライドの高さみたいなものを感じる。
6.幸福な日々
中学から高校の間にふたりは読み切りを7本発表している。
「メタルパレード」に1年かけたことを考えると毎日漫画を描いていたのではないか。毎日ふたりで一緒に過ごして漫画を描き続ける。藤野はもちろん幸せだ。京本も楽しい時間を過ごしていたのだが、外の世界の広がりを知り突き進む藤野の背中が遠くなるのを感じるようになる。アニメでふたりのつないだ手が伸びていく表現は観ているこちらも不安を感じた。事件の一報を受けた藤野の回想の中で京本は「もっと絵上手くなりたい」と言っている。単純な画力、事物を写し取ることは京本の方が上なんだけれど、藤野の絵の表現力に京本は自分に足りないものを見ていたのか。京本は先を行く藤野に追いつくために美大を志したのかもしれない。
あぜ道で京本が美大に行くことを告げたとき、藤野は例によってひねた言葉を発する。アニメではふたりの間を立木で割っている。「まあいいんじゃない」「私についてくれば全部うまくいく」などと藤野はここでもはっきり本心(離れないで)を出さない言い方をする。しかし京本が「藤野ちゃんにたよらないでひとりのちからで生きてみたい」と言ったところで藤野は感情的になる。それは藤野も京本に頼ることができなくなることだから。そのことをはっきり告げられたから。藤野は京本にそんなことできるわけがないと強い言葉を投げるのだが、「もっと絵上手くなりたいもん」と京本に言われて沈黙してしまう。ここでふたりは立木の同じ側にいる。絵が上手くなりたいという思いは同じだから。藤野はその思いを否定して京本を自分の近くに留めることはできない。
連載にあたって背景はアシスタントに任せることになるのだけれど、準入選の講評で高く評価されていたくらいだから作品の魅力を失いかねないし、(藤野ひとりが探すわけではないにしろ)京本の代わりはそう簡単に見つからないだろうと思う。それを藤野はなんとかしようとするわけで、これも漫画を描くために必要な力なんだろう。
7.シャークキック
連載漫画を描く藤野の表情、小学4年で京本に負けじとスケッチブックにペンを走らせていた姿を彷彿とさせる。当時のように、ひとりで漫画を描きながらどこかで京本を意識しているということを表現しているのではないかと思うのだ。
事件が起きる日、マンションの一室でペンを動かしながらアシスタントの件で通話する藤野は貧乏揺すりをしている。何をいらついているのか。京本のことをどこかで考えているに決まっているのだ。藤野の髪がぼさぼさに伸びているのも忙しさの表現かもしれないが、京本(ぼさぼさ頭)を忘れない、いつも意識していたいという思いがあるのではないか。
アニメではテレビで事件を知り京本に電話がつながらないでいるとき、母親からの着信音が鳴る。あれはわかってても驚く。藤野の耳に響いた音、悲報が届く恐怖を表しているのだろう。そして回想。ふたりで一緒に超作画で連載をやりたいという夢。京本と漫画を描いて抱くことができた夢。京本と別れてひとりで描いている間も思い続けていたことがここでわかる。それが潰えてしまった。
事件の経過がテレビの速報から新聞報道、「被告」と表現されているので事件後数ヶ月以上あとであろう雑誌記事で示される。「『シャークキック』休載のお知らせ」は事件後数週間後だろうか。藤野は京本の通夜に訪れているので時系列が少し乱れる印象だ。
8.京本の部屋の前で見た世界
スケッチブックの上のジャンプを手に取った藤野は、ときに逆向きにページをめくっている。過去の記憶をたぐっているように。ページの間に「出てこないで」の4コマが挟まれている。この4コマは現実のものだろうか。記憶を遡った藤野が、京本を外に出すきっかけになったものを幻視しているのではないか。ジャンプのページから顔を上げたところから藤野の目は現実から離れている。引き裂いた4コマがくぐる扉のノブは実際には握り玉なのにレバーになっている。非現実の扉であり、そこをくぐることのできる4コマも非現実の存在なのだ。
当方は藤野の夢想と解釈しているが、並行世界とも考えることができる世界が現れている。ただしいくつものあり得た並行世界の中からこの世界を選び取ったのは藤野だ。この世界には藤野の思いが反映されている。そして登場する「京本」と「藤野」はともに京本であり藤野でもある。
京本を失った悲しみから自責の念にかられた藤野は現実を否定しようとしたのだが、「京本」は現実をなぞる行動をする。せめて事件だけでも起きないようにできなかったのか。藤野は現実のできごと全てをこの世界でも再現しようとしている。今までの人生を否定できない、京本と過ごした日々をなかったことにはできない。ならば最後の瞬間に京本を救うことだけを願う。それは京本によって藤野が救われるというイメージを作り出すことでもある。アニメでは原作漫画と違い、夢想世界では「京本」は左利きのままなので藤野自身を「京本」の中に託しているようには見えない。でも藤野はふたたび漫画に向かうために京本の手を借りていると思うのだ。漫画をあきらめた藤野を京本が救う、そのイメージを藤野の精神は「京本」を救う「藤野」の姿で見せている。
9.救急車の行く先
救急車で運ばれる「藤野」を見送る「京本」の姿は、ふたりが最初に出会い別れるときの様子を思い起こさせる。しかしあのときとは違う。「藤野」はアシスタントやってねと「京本」に言葉をかけているが、「京本」は答えていないのだ。この場面は、再び漫画を描くという意志と喜びを表現しているだけではない。仰臥した人を乗せて走り去る車を静かに見送る姿は、別の状況を連想させるのではないか。
「藤野」を乗せた救急車は大学の前に立つ「京本」から見て向こう側の車線を走っていく。モデルとなった大学の前(西側)には南北(正確にはやや南西から北東向き)方向に二車線の道路が通っている。大学は正面を西に向けているので救急車は南北に走る道路の西側の車線を北に向かったことになる。この道路を道なりに進み、左へ向かい到着するのは山形市斎場。救急車の向かう先は病院ではないのだ。この夢想世界では「京本」も「藤野」もそれぞれ京本であり藤野でもある存在だと解釈しているので、あの姿は藤野が斎場に向かう京本の亡骸を見送っている姿とも見ることができるのだ(ちなみに近隣の総合病院である山形大学付属病院は逆方向、南向きに走った先にある)。
一緒に漫画を描きたい、また漫画を描きたいという願いを表しながら、藤野の精神は京本の死を受け入れ、彼の世へ向かう京本を見送ろうとしている。
10.帰宅する京本
雪道をはねるように帰宅する「京本」の動きがかわいい。
あの日自宅へ向かう喜びにあふれた藤野の姿ほど大きな動きではないが嬉しそうな雰囲気が感じられる。小学校のころ好きだった4コマを描いていた「藤野」に出会えた喜び。漫画を描く希望を得た藤野の精神が表現する喜びの姿。しかしおそらく現実の藤野はそのことをまだ認識できていない。自身で選びとった希望はまだ意識の奥底にある。
「京本」は藤野の4コマが貼られたスクラップブックを開く。本編に出てきた作品が並べられているが、掲載順になっていない。最初に京本の作品と並べられた「奇策士ミカ」と最後に京本といっしょに掲載された「真実」が同じページに貼られている。このページは京本を意識しながらひとりで描き続けた日々の象徴だ。そこから現れた白紙の4コマ原稿。
白紙の4コマ原稿を手にした姿、楽しそうに鉛筆を動かす様子はあの日京本の部屋の前で「出てこないで」を描いた藤野に似ている。そしてあの日と同じように、描き上げた4コマを扉の向こうに送る。「背中を見て」と京本が言っている、そう藤野は夢想してこの漫画を「京本」に描かせた。「奇策士ミカ」と「真実」、ふたつの4コマにはさまれた時間。ひとりで絵を描くことに没頭した日々の中から現れ描かれた4コマ。その日々を振り返って、思い出してという意味もあるのだろう。
「背中を見て」は現実の世に存在するはずのない漫画だ。自身の精神の奥で描かれたその意味を理解できたのか。藤野は奇跡のようなできごとが描かれた4コマを見て驚き、目を見開いた。扉の下をくぐって現れた京本が助かっている4コマ。扉の向こうに何かがある、もしかしたら絵を描いている京本がいるのではないか、京本の死をひっくり返す奇跡が起きているのかもしれない。藤野は何かを期待して扉を開けた。
11.部屋の中
藤野は扉を開けるがそこは京本のいない空間。奇跡はない。ただ京本のいない現実がある。
そこで藤野は、京本が自分の作品を何冊も買い雑誌のアンケートを送っていたことを知る。扉に掛けた馬鹿でかいサインの入った半纏。「藤野ちゃんに頼らないで生きてみたい」と言った京本が藤野を思い応援していたことを知る。京本にとって自身がどういう存在だったのか、自分にとって京本がどういう存在だったのか、思い起こす。
ここで画面はホワイトアウトしアニメのキャラクターである藤野の顔が描かれ始める。この絵は誰が描いているのか。藤野や京本ではない。それは「アニメーター」だと思う。このあと藤野の顔が消え、白い背景の中で小学生の藤野が背を向けて漫画を描いている姿が現れる。その藤野の姿にアニメーター自身を重ねているのだ。
「じゃあ藤野ちゃんはなんで描いてるの?」という藤野に向けられた京本の問い、もう少し言うと原作者の藤本タツキの問いを作品を作っているアニメーターが受け取っている、そのことを示すために作中のキャラクターを描く誰かがいることを見せたのだと思う。藤野の顔が描かれているときに発せられるグチのような藤野の言葉もアニメーターの言葉なのだろう。そう考えるとこのあとの回想で描かれるふたりの姿もアニメ制作にたずさわる人々にも見えてくる。作品を制作する希望や喜びを表しているように。
コミックスを読み終えて続きを待つ誰かに京本を重ねて藤野は立ち上がり漫画を描きに戻っていく。区切りがついたわけでも割り切れたわけでもないだろうけれど。
12.藤野にとっての京本
藤野にとって京本はなんだったのだろうと思う。
作中、京本に対して感謝を表したりねぎらいの言葉をかけている様子はなくて「私の背中を見て成長するんだな」などと小面憎いことを言ってたりするのだが、大切な人間だと思っているのは間違いない。友人、仲間、ライバル。全部のようで全部合わせたものを越えた何かがあると思えてならない。
アニメでは、手を引きながら振り返る藤野の目に映った京本があまりに美しく輝いてみえるのだ。尋常ではない感情を表現してないか。それは何。
藤野は京本を愛していたのではないのか。原作でもアニメでもいわゆる百合的なものは全く匂わせていない。そのような恋愛感情とは違う、深い愛情を抱いていたような気がする。自身に幸福をもたらしてくれる、人生に意味を意味を与えてくれる相手に対する愛情と言っていいのか。
主題歌が聖歌を思わせる楽曲になっていて至上の愛(アメイジング・グレイス)あたりを思い起こしたりするのだが。
13.生きていた京本
作品本編と関係ない話。
映画館に行く前は原作は読んでいたけれどアニメについてはPVも観てなかった。Youtubeでこのアニメはすごいというコメントの動画を見ただけだった。
で、映画館から帰ってきてから舞台挨拶の動画を見つけて視聴したのだが、一瞬だけれど強烈な喜びの感情を味わった。
主演のふたりが登場して話し出したときのこと。
「ああよかった。京本生きてた」
などと感動していたのだ。
いや京本と違うし、とすぐに我に返ったのだが、今まで経験したことのない感情だった。藤野に感情移入していたのか京本に感情移入していたのか混乱したが、とにかくアニメ作中の京本の魅力がすばらしかったという話。
14.本編+
本作はアマゾンのプライムビデオで配信され、そちらも繰り返し観た。途中で戻したり止めたりできるので映画館では気づけなかったことに気づけたりもした。
さて配信では音声と字幕が多国語対応しているが、音声の「日本語の説明付き」がすばらしい。
場面説明のナレーションなのだが、ただの説明ではない。
まず台本がよくできている。本編の邪魔にならないどころか、ぼんやり見逃していたところに気づかせてくれる。そしてナレーションが絶品。落ち着いた声質で抑揚を押さえているけれど情感がたっぷり込められている。作品の理解と没入感が深まる。すばらしい。
ちなみに映画館ではオーディオコメンタリー付きの上映があったが監督と原動画担当の話で、リピーター向けボーナスのようなものだった(話は面白かった)。また上映期間終わり近くに監督や出演者のインタビュー映像付で上映されたようだが未視聴。ディスクが発売されたらナレーションやコメンタリーと併せて収録されるのだろうか。
【感想】ルックバック ― 2024年10月20日 23:51
漫画『ルックバック』(藤本タツキ)の考察あるいは感想である。
この作品はアニメの評判で知った。原作漫画を読み、その後アニメを観ているが、ここでは原作漫画について書く。
事件のあと、京本の部屋の前に来た藤野の前に現れた世界について考える。
この世界については藤野の妄想やパラレルワールドという解釈があるようだ。
そういう解釈もありうると思う。読者にいろいろな解釈をさせる作品だと思う。
では当方の解釈はどうなのか。
1.白日夢
あれは藤野の夢想である。夢想というか白日夢のようなもの。
夢、なので藤野が意識して想像している世界ではない、無意識によって作られる世界だ。
現実の不都合の書き換え、願望の充足が起きる世界。
どこから夢なのか。
「出てこないで」の4コマからである。この4コマ漫画は雑誌に挟まれていたわけではない。京本のことを思い返している時に記憶の中から浮かび上がってきたイメージだ。
京本を部屋から出すきっかけになった4コマ。
京本を部屋から出さなければ京本は死なずに済んだのに。
彼女と出会っていっしょに漫画を描くことになったから京本は死んでしまった。
あの4コマを描かなければよかった、という強い後悔により記憶の中から引きずり出されたイメージ。
それをなかったことにするために実際に手にとっている感覚があるほどの明確なイメージを藤野は夢の中に見る。
その4コマを引きちぎって「出てこないで」のコマだけを過去の京本に届くようにと祈る。
卒業証書を届けにきた藤野が訪れる前の京本に。
4コマを受け取った京本は藤野の思い描いている京本の姿である。
京本を失った藤野が願う、「出てこないで」という願いを聞き入れ藤野に出会うことのない京本。
夢は藤野の願う世界を作り出そうとする。
しかし、「幽霊だ」と呟いた京本はここで変質する。
2.外へ出る京本
京本と出会わなかったら、藤野自身もその人生で漫画を描いていない。
京本を部屋から出さないということは自分が漫画を描くということをあきらめることだ。
それは藤野の望むことではない。漫画を描くことは藤野にとって青春そのものであり、人生そのもの。
藤野は意識の表面では京本の命を救いたい、漫画を描かなければよかったと思っているが、意識の底では漫画を描きたいと願っている。矛盾した願望を持ち、夢の中でその矛盾を解決しようとしている。
夢の中で藤野は無意識の力で漫画を描こうとする。京本の生きる姿を強く思いながら。
藤野に出会わなかった京本は、京本に出会うことなく漫画の道に進まなかった藤野の代わりに描くのだ。
いや、藤野の代わり、ではなく藤野として描くのだ。京本は京本の姿をとった藤野なのだ。
右手でペンを持つ京本。左利きの京本がなぜ右手で描くのか。あれは藤野だからだ。
京本を死なせたくないという思い、自分が漫画を描かなければよかったのにという後悔、そして漫画を描き続けたいという、このときは無意識に沈んでいるであろう強い願望を叶えるために夢の中で藤野は京本の姿を借りてしまったのだ。
やがて夢の中で京本は現実の京本のように外に出ていってしまう。
部屋から出したくないという思いとその思いと矛盾する漫画を描きたいという願いが夢の中で京本を動かしている。描き続ける京本=藤野。
3.襲撃と救い
そして事件が起きる。
キャプションの付いているページは現実にあった事件の客観的な再現であり、藤野の記憶や想像ではない。
ここは藤野の思い描く事件ではなく現実の事件をそのまま見せている。京本は現実の京本として左手で絵筆をとっている。藤野自身は現実の事件を直接知らないから藤野の中では作られたイメージを見ているのだろう。しかしそのイメージは「現実そのまま」の姿を映しているという意味を持っている。藤野は現実の悲劇をありのままに見ようとしている。
藤野の無意識は現実を受け入れたうえで自身の願望を充足させようと考えている。藤野は現実を受け入れて夢を作っていく。現実は受け入れる。でも夢の中で救われる。そこで救われて現実世界で前に進むことができる。悲劇的な現実を受け入れられない人もいる、ただ悲嘆に暮れる人もいる、藤野はこの世で漫画を描きたいという願望のために現実を受け入れようとしている。
京本に凶器が振り下ろされたとき、現実と夢が交錯し、救いが現れる。
飛び蹴りを入れる藤野、しかしこの藤野は藤野ではない。犯人を倒す藤野の中には京本がいる。
蹴り足が左、左利きと考えられるからだ。
左側に出入り口がありそちらから顔が見えるように飛び蹴りすると左足が出る、という作画上の理由にも見えるがそうではないだろう。
犯人に飛び蹴りを入れた人物は京本の姿をした藤野を救いにきているのだ。京本を救いたいと願う藤野はそのとおり京本の危機に現れているように見えるが、同時に京本を失った藤野は救いを求めている。理不尽に振り下ろされる凶器の下で涙を浮かべる京本=藤野。
卒業式の日、漫画をあきらめていた藤野を救ったのは京本だった。
そのときのように、漫画を描けなくなっていた藤野を救いに京本が現れたのだ。藤野に漫画を描いて欲しい、藤野の漫画を見たいと告げにきたのだ(そういえば卒業式の日も今回同様に京本は左側から藤野に迫ってきていた)。
だけれども。
これは藤野の夢の中だ。藤野を救いにきた藤野の姿をした京本は、藤野の生み出したものだ。
だからここで藤野は夢の中で(藤野の姿をした)京本に救われた、という体で自分で自分を救っていることになる。漫画を描かなければよかったという後悔から生まれた願い、それでも漫画を描きたいという思い、矛盾を解決しようとして藤野の無意識が作り出した物語。部屋から出た京本と一緒に漫画を描くことのできるように見える世界を夢の中で作り出している。そこで行われたのは京本ではなく藤野自身を救う作業なのだが。
京本を救った藤野は足を骨折してしまう。京本を救うことは現実には不可能であり、そのことを理解している藤野(の無意識)が藤野に与えた罰のように見える。あるいは藤野が抱える痛みを表しているのではないか。
犯人を蹴り倒した後、右拳を撃ち下ろしているのは藤野自身の姿なのだろう。京本に手をかけた犯人に対する憎悪が吹き出しているようだ。京本を死なせることになってしまった自分自身への怒りがあるのではないかとも考えられるのだが、それはないだろう。もう京本を部屋から出したことを後悔も否定もしていないのだ。京本を部屋から出さなかった世界ではない。
京本と自分を救うことを実現した藤野は救急搬送される時、「最近また描き始めたよ!」と言い、京本にアシスタントをしてほしいと伝える。「なんで漫画描くのやめちゃったんですか」と問われて「最近また描き始めたよ」と右手を挙げて答えるこのときの藤野は藤野であり、京本は京本なんだろう。藤野の元から離れた京本にまた一緒に描いてほしい、という気持ちがそのまま出ている。
ここは卒業式の日、京本との出会ったときの記憶を成長した姿で繰り返しているのではないか。そのときの記憶があったから、それを再現するようなイメージを作り出しているようだ。
4.夢からの
帰宅する京本がたどる道はあの日雨中で跳ねた道だろうか。
夢の中で京本は藤野の4コマを読み返し、右手でペンを取る。今日のできごとをもとに4コマ漫画を描く。
その4コマは願いが成就したことを夢の中の藤野から現実の藤野に知らせるために描かれるのだ。
京本の命は戻らない。それはかなわない。京本と漫画を描くことができる世界を作り出したがそれは現実ではない。京本を失った現実を受け止めながら京本を救うことができた世界を夢見て自分を救い出した。漫画を描く、描きたいという思いを取り戻すことができたことを知らせるために、藤野の無意識が4コマを描く。
漫画を描き続ける強い動機が京本の姿にあることを知っている藤野の無意識は、現実の藤野に働きかけるために京本の姿で4コマを描いている。「背中を見て」というために足ではなく背中に傷を負わせて。
現実世界では事件をそのままなぞるような漫画は世にでることはないだろう。ネット上に公開されたら炎上し、何かの紙面に掲載されたら非難の嵐だろう。被害者が救われた世界ですよ、と言って納得する者はいない。
「背中を見て」はそういう漫画だ。現実の被害者たちを傷つけ、人々から非難される漫画。夢の中では犠牲者が出なかったからこそ表現できた4コマ漫画。藤野の無意識はそれを現実世界に出現させた。ほかの形ではなくこの4コマを見せたのだ。
藤野の願望を充足させた無意識からのビジョンが現実の藤野が手にした4コマ用紙に出現した。
現実には存在しない京本の4コマという形で藤野は幻視している。小学生のときに描き出した漫画、京本を知り出会うきっかけになった漫画、自分の誇りと喜びであり人生そのものでもある漫画という形で自分の無意識が解決した結果を見ている。
藤野はこの4コマを京本が描いたと思ったのだろうか。ありえないものを見ていると思ったのだろうか。自身の無意識の働きに気づいたのだろうか。
5.現実で
近しい人が突然不慮の死を迎えた時、自分に原因があるんじゃないか、あんなこと言わなければ、ああしておけば、という後悔をすることは漫画家のような創作者に限ったことではない。そこから立ち直って生きていくのも創作者だから、というわけでもない。また創作者は前を向いて進まなければいけないということもない。
だが創作者のように自分の才能を信じ、その仕事を強く望んで手に入れた者は、挫折したとしてもそこで終わりたくないと強く願っているだろうと思う。自身の才能をたのんで生きたいというそれは願望というより欲望なのかもしれない。
藤野は漫画を描きたいという欲望とそれを支えた京本を忘れられない。漫画を描かなければよかった、自分のせいで京本が死んでしまった、意識に上ってきたそのような思いを覆したい。
藤野の精神は、京本を死なせないというイメージを作り出しながらその実、もう一度漫画を描く自分の姿を描き出した。無意識の作り出した欺瞞のような物語により藤野は漫画の続きを描くことができるようになった。
藤野はあきらめることができたのではないか。あきらめたのは京本ではなく、後悔することだ。京本を部屋から出さなければ、あのとき漫画を描いていなければという後悔。この世で自分であり続けるためにその後悔をあきらめて漫画を描き続ける。それは京本を失ったこと、また京本と漫画を描く未来を失ったことを受け入れることであり、今までの人生のある部分を崩してしまうことなのかもしれない。それでも京本と過ごしてきた人生の続きを生きるためここにある現実を受け入れる。無意識のどこかで欺瞞を生んでいるかもしれないけれど。
何も描かれていない4コマの用紙に藤野が見たもの。何かをそこに見続けるために藤野はその紙を仕事場に持ち帰ったのではないか、と思ったりする。
この作品はアニメの評判で知った。原作漫画を読み、その後アニメを観ているが、ここでは原作漫画について書く。
事件のあと、京本の部屋の前に来た藤野の前に現れた世界について考える。
この世界については藤野の妄想やパラレルワールドという解釈があるようだ。
そういう解釈もありうると思う。読者にいろいろな解釈をさせる作品だと思う。
では当方の解釈はどうなのか。
1.白日夢
あれは藤野の夢想である。夢想というか白日夢のようなもの。
夢、なので藤野が意識して想像している世界ではない、無意識によって作られる世界だ。
現実の不都合の書き換え、願望の充足が起きる世界。
どこから夢なのか。
「出てこないで」の4コマからである。この4コマ漫画は雑誌に挟まれていたわけではない。京本のことを思い返している時に記憶の中から浮かび上がってきたイメージだ。
京本を部屋から出すきっかけになった4コマ。
京本を部屋から出さなければ京本は死なずに済んだのに。
彼女と出会っていっしょに漫画を描くことになったから京本は死んでしまった。
あの4コマを描かなければよかった、という強い後悔により記憶の中から引きずり出されたイメージ。
それをなかったことにするために実際に手にとっている感覚があるほどの明確なイメージを藤野は夢の中に見る。
その4コマを引きちぎって「出てこないで」のコマだけを過去の京本に届くようにと祈る。
卒業証書を届けにきた藤野が訪れる前の京本に。
4コマを受け取った京本は藤野の思い描いている京本の姿である。
京本を失った藤野が願う、「出てこないで」という願いを聞き入れ藤野に出会うことのない京本。
夢は藤野の願う世界を作り出そうとする。
しかし、「幽霊だ」と呟いた京本はここで変質する。
2.外へ出る京本
京本と出会わなかったら、藤野自身もその人生で漫画を描いていない。
京本を部屋から出さないということは自分が漫画を描くということをあきらめることだ。
それは藤野の望むことではない。漫画を描くことは藤野にとって青春そのものであり、人生そのもの。
藤野は意識の表面では京本の命を救いたい、漫画を描かなければよかったと思っているが、意識の底では漫画を描きたいと願っている。矛盾した願望を持ち、夢の中でその矛盾を解決しようとしている。
夢の中で藤野は無意識の力で漫画を描こうとする。京本の生きる姿を強く思いながら。
藤野に出会わなかった京本は、京本に出会うことなく漫画の道に進まなかった藤野の代わりに描くのだ。
いや、藤野の代わり、ではなく藤野として描くのだ。京本は京本の姿をとった藤野なのだ。
右手でペンを持つ京本。左利きの京本がなぜ右手で描くのか。あれは藤野だからだ。
京本を死なせたくないという思い、自分が漫画を描かなければよかったのにという後悔、そして漫画を描き続けたいという、このときは無意識に沈んでいるであろう強い願望を叶えるために夢の中で藤野は京本の姿を借りてしまったのだ。
やがて夢の中で京本は現実の京本のように外に出ていってしまう。
部屋から出したくないという思いとその思いと矛盾する漫画を描きたいという願いが夢の中で京本を動かしている。描き続ける京本=藤野。
3.襲撃と救い
そして事件が起きる。
キャプションの付いているページは現実にあった事件の客観的な再現であり、藤野の記憶や想像ではない。
ここは藤野の思い描く事件ではなく現実の事件をそのまま見せている。京本は現実の京本として左手で絵筆をとっている。藤野自身は現実の事件を直接知らないから藤野の中では作られたイメージを見ているのだろう。しかしそのイメージは「現実そのまま」の姿を映しているという意味を持っている。藤野は現実の悲劇をありのままに見ようとしている。
藤野の無意識は現実を受け入れたうえで自身の願望を充足させようと考えている。藤野は現実を受け入れて夢を作っていく。現実は受け入れる。でも夢の中で救われる。そこで救われて現実世界で前に進むことができる。悲劇的な現実を受け入れられない人もいる、ただ悲嘆に暮れる人もいる、藤野はこの世で漫画を描きたいという願望のために現実を受け入れようとしている。
京本に凶器が振り下ろされたとき、現実と夢が交錯し、救いが現れる。
飛び蹴りを入れる藤野、しかしこの藤野は藤野ではない。犯人を倒す藤野の中には京本がいる。
蹴り足が左、左利きと考えられるからだ。
左側に出入り口がありそちらから顔が見えるように飛び蹴りすると左足が出る、という作画上の理由にも見えるがそうではないだろう。
犯人に飛び蹴りを入れた人物は京本の姿をした藤野を救いにきているのだ。京本を救いたいと願う藤野はそのとおり京本の危機に現れているように見えるが、同時に京本を失った藤野は救いを求めている。理不尽に振り下ろされる凶器の下で涙を浮かべる京本=藤野。
卒業式の日、漫画をあきらめていた藤野を救ったのは京本だった。
そのときのように、漫画を描けなくなっていた藤野を救いに京本が現れたのだ。藤野に漫画を描いて欲しい、藤野の漫画を見たいと告げにきたのだ(そういえば卒業式の日も今回同様に京本は左側から藤野に迫ってきていた)。
だけれども。
これは藤野の夢の中だ。藤野を救いにきた藤野の姿をした京本は、藤野の生み出したものだ。
だからここで藤野は夢の中で(藤野の姿をした)京本に救われた、という体で自分で自分を救っていることになる。漫画を描かなければよかったという後悔から生まれた願い、それでも漫画を描きたいという思い、矛盾を解決しようとして藤野の無意識が作り出した物語。部屋から出た京本と一緒に漫画を描くことのできるように見える世界を夢の中で作り出している。そこで行われたのは京本ではなく藤野自身を救う作業なのだが。
京本を救った藤野は足を骨折してしまう。京本を救うことは現実には不可能であり、そのことを理解している藤野(の無意識)が藤野に与えた罰のように見える。あるいは藤野が抱える痛みを表しているのではないか。
犯人を蹴り倒した後、右拳を撃ち下ろしているのは藤野自身の姿なのだろう。京本に手をかけた犯人に対する憎悪が吹き出しているようだ。京本を死なせることになってしまった自分自身への怒りがあるのではないかとも考えられるのだが、それはないだろう。もう京本を部屋から出したことを後悔も否定もしていないのだ。京本を部屋から出さなかった世界ではない。
京本と自分を救うことを実現した藤野は救急搬送される時、「最近また描き始めたよ!」と言い、京本にアシスタントをしてほしいと伝える。「なんで漫画描くのやめちゃったんですか」と問われて「最近また描き始めたよ」と右手を挙げて答えるこのときの藤野は藤野であり、京本は京本なんだろう。藤野の元から離れた京本にまた一緒に描いてほしい、という気持ちがそのまま出ている。
ここは卒業式の日、京本との出会ったときの記憶を成長した姿で繰り返しているのではないか。そのときの記憶があったから、それを再現するようなイメージを作り出しているようだ。
4.夢からの
帰宅する京本がたどる道はあの日雨中で跳ねた道だろうか。
夢の中で京本は藤野の4コマを読み返し、右手でペンを取る。今日のできごとをもとに4コマ漫画を描く。
その4コマは願いが成就したことを夢の中の藤野から現実の藤野に知らせるために描かれるのだ。
京本の命は戻らない。それはかなわない。京本と漫画を描くことができる世界を作り出したがそれは現実ではない。京本を失った現実を受け止めながら京本を救うことができた世界を夢見て自分を救い出した。漫画を描く、描きたいという思いを取り戻すことができたことを知らせるために、藤野の無意識が4コマを描く。
漫画を描き続ける強い動機が京本の姿にあることを知っている藤野の無意識は、現実の藤野に働きかけるために京本の姿で4コマを描いている。「背中を見て」というために足ではなく背中に傷を負わせて。
現実世界では事件をそのままなぞるような漫画は世にでることはないだろう。ネット上に公開されたら炎上し、何かの紙面に掲載されたら非難の嵐だろう。被害者が救われた世界ですよ、と言って納得する者はいない。
「背中を見て」はそういう漫画だ。現実の被害者たちを傷つけ、人々から非難される漫画。夢の中では犠牲者が出なかったからこそ表現できた4コマ漫画。藤野の無意識はそれを現実世界に出現させた。ほかの形ではなくこの4コマを見せたのだ。
藤野の願望を充足させた無意識からのビジョンが現実の藤野が手にした4コマ用紙に出現した。
現実には存在しない京本の4コマという形で藤野は幻視している。小学生のときに描き出した漫画、京本を知り出会うきっかけになった漫画、自分の誇りと喜びであり人生そのものでもある漫画という形で自分の無意識が解決した結果を見ている。
藤野はこの4コマを京本が描いたと思ったのだろうか。ありえないものを見ていると思ったのだろうか。自身の無意識の働きに気づいたのだろうか。
5.現実で
近しい人が突然不慮の死を迎えた時、自分に原因があるんじゃないか、あんなこと言わなければ、ああしておけば、という後悔をすることは漫画家のような創作者に限ったことではない。そこから立ち直って生きていくのも創作者だから、というわけでもない。また創作者は前を向いて進まなければいけないということもない。
だが創作者のように自分の才能を信じ、その仕事を強く望んで手に入れた者は、挫折したとしてもそこで終わりたくないと強く願っているだろうと思う。自身の才能をたのんで生きたいというそれは願望というより欲望なのかもしれない。
藤野は漫画を描きたいという欲望とそれを支えた京本を忘れられない。漫画を描かなければよかった、自分のせいで京本が死んでしまった、意識に上ってきたそのような思いを覆したい。
藤野の精神は、京本を死なせないというイメージを作り出しながらその実、もう一度漫画を描く自分の姿を描き出した。無意識の作り出した欺瞞のような物語により藤野は漫画の続きを描くことができるようになった。
藤野はあきらめることができたのではないか。あきらめたのは京本ではなく、後悔することだ。京本を部屋から出さなければ、あのとき漫画を描いていなければという後悔。この世で自分であり続けるためにその後悔をあきらめて漫画を描き続ける。それは京本を失ったこと、また京本と漫画を描く未来を失ったことを受け入れることであり、今までの人生のある部分を崩してしまうことなのかもしれない。それでも京本と過ごしてきた人生の続きを生きるためここにある現実を受け入れる。無意識のどこかで欺瞞を生んでいるかもしれないけれど。
何も描かれていない4コマの用紙に藤野が見たもの。何かをそこに見続けるために藤野はその紙を仕事場に持ち帰ったのではないか、と思ったりする。
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