【感想】ルックバック(アニメ) ― 2024年12月08日 09:31
アニメ『ルックバック』を観て思ったことを書いてみる。
アニメ映画を含めた『ルックバック』の感想や考察。勘違いや誤解があるかもしれないけれど。
1.天才の4コマ
藤野が4年生の学年新聞に描いた4コマ「ファーストキス」がアニメでショートストーリーのように描かれていた。
あのアイデアを4コマ漫画にしたら、普通はアニメのようになるんじゃないか。
・瀕死の男女が来世での再会を誓い合う。
・生まれ変わった女が男を待っている。
・隕石に生まれ変わった男が地球目指して飛んでくる。
・地球が破壊される。
起承転結がきっちりできている。
人が天体に生まれ変わるという意外性があり、最後に大規模破壊のカタルシスがある。最後の破壊をどう描くか、考えどころだと思う。理不尽に巻き込まれる人々を描くのか、女や男の視点を入れるのか、といった感じか。
ところが藤野は隕石となった男が飛んでくるところで終わらせている。オチを見せない。
結末を明示しないで終わる物語があって、絶望感をただよわせたり希望を持たせたり謎を解決しないままにしたりするのだけど、この4コマは結末が分かり切っているのでそのような読者の想像に委ねて終わるような話ではない。
オチを見せなくてどうなったか。「地球やばい」「みんな死んでしまう」というところで終わるのだ。緊迫感というほどではないにしろ、ちょっとした緊張感がある。コメディを緊張感を持たせて終わらせている。
これは尋常ではない。なぜ最後のオチを地球の破壊にしなかったのか。小学4年のセンスではないと思う。アニメでは藤野が考えに考えている様子を見せていたが、簡単に思いつける構成ではない。自身で「まあまあウマくできたな〜」というだけのことはある。
藤野は天才なんだという、ここはアニメを観なければ気づかなかった。
そしてこうも思う。
この4コマは藤野と京本の運命を描いていたのではないかとも思う。
親密なふたりが一度別れ、一方が再会を待ち望んでいるが、理不尽につぶされてしまう。4コマの成長した女の子は20歳、これは事件が起きたときの藤野と京本と同い年じゃないのか。またドライブ中の女の子が持っていた蝶の表紙の日記手帳、あれはスケッチブックや京本が藤野の4コマを集めていたスクラップブックを思わせる。「またわたしとキスをして」は「また一緒に漫画を」と言っているようだ。
2.出会い
卒業証書を京本の家に届けるよう頼まれた藤野は嫌がっているのだが、これは藤野の韜晦とみる。京本に会ってみたいと思っている筈だからだ。藤野は自分の筆を折らせた相手から逃げる性格ではない。京本の絵を見てがむしゃらに絵の練習を続けるやつだ。
京本の家で京本がいることに気づいた藤野は家の中に上がり込む。
そのまま証書を置いて帰る、あるいは玄関で出てくるまで呼ぶ、ということをしない。京本に会いに来ているのだから。
そして廊下に積み上げられたスケッチブックの山の中を歩いていく。
たじろいで引き下がったりしない。京本に向かって進む姿に何か藤野の強さみたいなのを感じることができたのはアニメで実際に動いている姿を見たから、かもしれない。部屋の前で4コマ漫画を描いたのはスケッチブックの山の中で高揚したものがあったからかもしれない。
藤野に会った京本の表情、動きは素晴らしい。京本の魅力が動きと声で何百%増にもなっている。「藤野せんせえ」から「またね」まで全部本当に素晴らしい。アニメでは京本をいかに魅力的に描くかに力が注がれている様子。それにより藤野の幸福感を表している。
3.踊る藤野
京本の家から帰る藤野の動き。
自分を打ちのめした京本にほめられ持ち上げられ、漫画を描くモチベーションが吹き上がっているのがわかる。
いままでの鬱屈が土砂降りの雨で表現されその中を飛ぶように進む。スキップから踊るような動きになっていく、藤野の高揚した感情の爆発が表れていた。めちゃくちゃ調子に乗っている、とも言える。
晴れ渡る空の下、ではないのが藤野の感情の激しさが出ているように思う。
天候についてもうひとつ。ふたりが漫画賞の結果のでている雑誌を確認するためにコンビニへ向かうとき激しく雪が降っていた。「藤野キョウ」が世に出た日だというのになぜ悪天候と思う。行く末の暗示なのか、ふたりのひたむきさを表しているのか。
4.京本と描く
中学に入って藤野と京本の共同作業が始まるのだが、考えてみると藤野のファンで彼女の漫画をみたいと言っていただけの京本が制作に参加する理由はない。
ネームを完成させた藤野がそれを京本の家に持ってくる、という流れだったのに、京本を自分の部屋に引っ張り込んで漫画を描かせている。「学校行ってないから楽勝です」という京本の姿は幸せそうだが、京本が自分からすすんで描きだしたわけではないだろう。藤野が賞に出す漫画を考えてると言ったとき、京本はただ藤野の作品を見たいと言うだけで自分描いてみたいというようなことは言っていない。
いったいなぜ京本が藤野とふたりで漫画を描くことになったのか。
京本に近くにいてほしいと藤野が願ったからだ。自分を認めてくれる存在が欲しかったのだ。6年の時漫画をやめたのは、京本に追いつけない、と感じたこともあるけれど周りに認めてもらえないことの方が理由として大きかったのではないか。友達や家族に否定され「なにやってるんだろう」とさすがに小学6年ではくじけてしまう。
自分を「漫画の天才」とたたえてくれる京本に作品を見てほしいと思い、もしかしたらネームを描いているうちに京本の手を借りることを考えついて自宅に呼んだのかもしれない。
そしてネーム原稿を読んだ京本の笑顔を見て、藤野はどうしても京本が欲しくなってしまった。藤野は、京本自身が絵を描ける人間だからいっしょに描いてほしいという理由を付けて共同制作に持ち込んだ。そうすれば漫画を描いている間は京本と一緒にいられる。京本がいれば漫画を描き続けられる。手を借りるだけではおさまらない感情にとりつかれてしまった。
京本は藤野の太陽になったのだ。
漫画を描いて京本と過ごす。藤野にとってそれが幸福な人生を生きること。
京本のおかげで漫画を描きたいという望みは叶えられる。そして京本と漫画を描くことで藤野はその先の夢を抱いた(のちに京本の死でこの夢は潰えるのだが)。
ふたりは完成した応募原稿を出版社に持ち込んでいる。郵送ではなく、藤野ひとりでもなく、わざわざふたりで直接持ち込んでいる。
応募原稿を持ち込む姿を京本に見てほしい、隣にいてくれたら自信を支えてくれると藤野は思ったのではないか。
後に賞をとり藤野のおごりで街に遊びに行くのもためらう京本が、いきなり東京の出版社に出向くなんてできるわけがない。藤野が強引に京本の手を取って引っ張っていったのだ。一緒にいてくれなければ困る、だから大切な京本を(本人は嫌がっているのに)連れて行く藤野。傲慢で自分勝手な藤野。
「完成するのに一年はかけちゃって」という言葉、謙遜のようだけど自分たちで1年で仕上げましたと言っているようにも聞こえる。学年新聞の4コマを「5分でかいた」とのたまったように。そして「背景なんて全部この子なんです」は京本を自慢しているのではないか。「ウチの京本」を見せに行く、というのもふたりで行った理由かもしれない(当の京本は顔も上がられないでいるけれど)。
韜晦の中に自信がちらちら見え隠れする、藤野らしい姿だと思う。
5.お礼は10万
漫画で賞を取り、街に遊びに行った帰りの列車内。藤野が「お礼は10万」と言った後にアニメではウソだとバラしている。原作ではなかったフォロー。
これ、フォローしておかないと藤野が鬼畜に見えるなんて理由ではないだろう。藤野が本気で言っていると受け取る読者や観客はいない。でも京本だけは真に受けている。言いっぱなしでは京本がかわいそう、なので京本を安心させるためにアニメではフォローの言葉を追加したのではないか。笑う京本の姿を見て観客も安心する。
しかし「部屋から出してくれてありがとう」と言われて素直に「京本のおかげで漫画を描くことができて賞までとれたんだよ。部屋から出てくれて本当にありがとう」などと答えていれば見ている方はもっと気分がよかった筈(10万は作中のギャグでもあるのでそういうわけにもいかないのか)。藤野はここでも素直に感情を表現していない。人にうまく気持ちを伝えられないなどというナイーブな藤野ではない。藤野のプライドの高さみたいなものを感じる。
6.幸福な日々
中学から高校の間にふたりは読み切りを7本発表している。
「メタルパレード」に1年かけたことを考えると毎日漫画を描いていたのではないか。毎日ふたりで一緒に過ごして漫画を描き続ける。藤野はもちろん幸せだ。京本も楽しい時間を過ごしていたのだが、外の世界の広がりを知り突き進む藤野の背中が遠くなるのを感じるようになる。アニメでふたりのつないだ手が伸びていく表現は観ているこちらも不安を感じた。事件の一報を受けた藤野の回想の中で京本は「もっと絵上手くなりたい」と言っている。単純な画力、事物を写し取ることは京本の方が上なんだけれど、藤野の絵の表現力に京本は自分に足りないものを見ていたのか。京本は先を行く藤野に追いつくために美大を志したのかもしれない。
あぜ道で京本が美大に行くことを告げたとき、藤野は例によってひねた言葉を発する。アニメではふたりの間を立木で割っている。「まあいいんじゃない」「私についてくれば全部うまくいく」などと藤野はここでもはっきり本心(離れないで)を出さない言い方をする。しかし京本が「藤野ちゃんにたよらないでひとりのちからで生きてみたい」と言ったところで藤野は感情的になる。それは藤野も京本に頼ることができなくなることだから。そのことをはっきり告げられたから。藤野は京本にそんなことできるわけがないと強い言葉を投げるのだが、「もっと絵上手くなりたいもん」と京本に言われて沈黙してしまう。ここでふたりは立木の同じ側にいる。絵が上手くなりたいという思いは同じだから。藤野はその思いを否定して京本を自分の近くに留めることはできない。
連載にあたって背景はアシスタントに任せることになるのだけれど、準入選の講評で高く評価されていたくらいだから作品の魅力を失いかねないし、(藤野ひとりが探すわけではないにしろ)京本の代わりはそう簡単に見つからないだろうと思う。それを藤野はなんとかしようとするわけで、これも漫画を描くために必要な力なんだろう。
7.シャークキック
連載漫画を描く藤野の表情、小学4年で京本に負けじとスケッチブックにペンを走らせていた姿を彷彿とさせる。当時のように、ひとりで漫画を描きながらどこかで京本を意識しているということを表現しているのではないかと思うのだ。
事件が起きる日、マンションの一室でペンを動かしながらアシスタントの件で通話する藤野は貧乏揺すりをしている。何をいらついているのか。京本のことをどこかで考えているに決まっているのだ。藤野の髪がぼさぼさに伸びているのも忙しさの表現かもしれないが、京本(ぼさぼさ頭)を忘れない、いつも意識していたいという思いがあるのではないか。
アニメではテレビで事件を知り京本に電話がつながらないでいるとき、母親からの着信音が鳴る。あれはわかってても驚く。藤野の耳に響いた音、悲報が届く恐怖を表しているのだろう。そして回想。ふたりで一緒に超作画で連載をやりたいという夢。京本と漫画を描いて抱くことができた夢。京本と別れてひとりで描いている間も思い続けていたことがここでわかる。それが潰えてしまった。
事件の経過がテレビの速報から新聞報道、「被告」と表現されているので事件後数ヶ月以上あとであろう雑誌記事で示される。「『シャークキック』休載のお知らせ」は事件後数週間後だろうか。藤野は京本の通夜に訪れているので時系列が少し乱れる印象だ。
8.京本の部屋の前で見た世界
スケッチブックの上のジャンプを手に取った藤野は、ときに逆向きにページをめくっている。過去の記憶をたぐっているように。ページの間に「出てこないで」の4コマが挟まれている。この4コマは現実のものだろうか。記憶を遡った藤野が、京本を外に出すきっかけになったものを幻視しているのではないか。ジャンプのページから顔を上げたところから藤野の目は現実から離れている。引き裂いた4コマがくぐる扉のノブは実際には握り玉なのにレバーになっている。非現実の扉であり、そこをくぐることのできる4コマも非現実の存在なのだ。
当方は藤野の夢想と解釈しているが、並行世界とも考えることができる世界が現れている。ただしいくつものあり得た並行世界の中からこの世界を選び取ったのは藤野だ。この世界には藤野の思いが反映されている。そして登場する「京本」と「藤野」はともに京本であり藤野でもある。
京本を失った悲しみから自責の念にかられた藤野は現実を否定しようとしたのだが、「京本」は現実をなぞる行動をする。せめて事件だけでも起きないようにできなかったのか。藤野は現実のできごと全てをこの世界でも再現しようとしている。今までの人生を否定できない、京本と過ごした日々をなかったことにはできない。ならば最後の瞬間に京本を救うことだけを願う。それは京本によって藤野が救われるというイメージを作り出すことでもある。アニメでは原作漫画と違い、夢想世界では「京本」は左利きのままなので藤野自身を「京本」の中に託しているようには見えない。でも藤野はふたたび漫画に向かうために京本の手を借りていると思うのだ。漫画をあきらめた藤野を京本が救う、そのイメージを藤野の精神は「京本」を救う「藤野」の姿で見せている。
9.救急車の行く先
救急車で運ばれる「藤野」を見送る「京本」の姿は、ふたりが最初に出会い別れるときの様子を思い起こさせる。しかしあのときとは違う。「藤野」はアシスタントやってねと「京本」に言葉をかけているが、「京本」は答えていないのだ。この場面は、再び漫画を描くという意志と喜びを表現しているだけではない。仰臥した人を乗せて走り去る車を静かに見送る姿は、別の状況を連想させるのではないか。
「藤野」を乗せた救急車は大学の前に立つ「京本」から見て向こう側の車線を走っていく。モデルとなった大学の前(西側)には南北(正確にはやや南西から北東向き)方向に二車線の道路が通っている。大学は正面を西に向けているので救急車は南北に走る道路の西側の車線を北に向かったことになる。この道路を道なりに進み、左へ向かい到着するのは山形市斎場。救急車の向かう先は病院ではないのだ。この夢想世界では「京本」も「藤野」もそれぞれ京本であり藤野でもある存在だと解釈しているので、あの姿は藤野が斎場に向かう京本の亡骸を見送っている姿とも見ることができるのだ(ちなみに近隣の総合病院である山形大学付属病院は逆方向、南向きに走った先にある)。
一緒に漫画を描きたい、また漫画を描きたいという願いを表しながら、藤野の精神は京本の死を受け入れ、彼の世へ向かう京本を見送ろうとしている。
10.帰宅する京本
雪道をはねるように帰宅する「京本」の動きがかわいい。
あの日自宅へ向かう喜びにあふれた藤野の姿ほど大きな動きではないが嬉しそうな雰囲気が感じられる。小学校のころ好きだった4コマを描いていた「藤野」に出会えた喜び。漫画を描く希望を得た藤野の精神が表現する喜びの姿。しかしおそらく現実の藤野はそのことをまだ認識できていない。自身で選びとった希望はまだ意識の奥底にある。
「京本」は藤野の4コマが貼られたスクラップブックを開く。本編に出てきた作品が並べられているが、掲載順になっていない。最初に京本の作品と並べられた「奇策士ミカ」と最後に京本といっしょに掲載された「真実」が同じページに貼られている。このページは京本を意識しながらひとりで描き続けた日々の象徴だ。そこから現れた白紙の4コマ原稿。
白紙の4コマ原稿を手にした姿、楽しそうに鉛筆を動かす様子はあの日京本の部屋の前で「出てこないで」を描いた藤野に似ている。そしてあの日と同じように、描き上げた4コマを扉の向こうに送る。「背中を見て」と京本が言っている、そう藤野は夢想してこの漫画を「京本」に描かせた。「奇策士ミカ」と「真実」、ふたつの4コマにはさまれた時間。ひとりで絵を描くことに没頭した日々の中から現れ描かれた4コマ。その日々を振り返って、思い出してという意味もあるのだろう。
「背中を見て」は現実の世に存在するはずのない漫画だ。自身の精神の奥で描かれたその意味を理解できたのか。藤野は奇跡のようなできごとが描かれた4コマを見て驚き、目を見開いた。扉の下をくぐって現れた京本が助かっている4コマ。扉の向こうに何かがある、もしかしたら絵を描いている京本がいるのではないか、京本の死をひっくり返す奇跡が起きているのかもしれない。藤野は何かを期待して扉を開けた。
11.部屋の中
藤野は扉を開けるがそこは京本のいない空間。奇跡はない。ただ京本のいない現実がある。
そこで藤野は、京本が自分の作品を何冊も買い雑誌のアンケートを送っていたことを知る。扉に掛けた馬鹿でかいサインの入った半纏。「藤野ちゃんに頼らないで生きてみたい」と言った京本が藤野を思い応援していたことを知る。京本にとって自身がどういう存在だったのか、自分にとって京本がどういう存在だったのか、思い起こす。
ここで画面はホワイトアウトしアニメのキャラクターである藤野の顔が描かれ始める。この絵は誰が描いているのか。藤野や京本ではない。それは「アニメーター」だと思う。このあと藤野の顔が消え、白い背景の中で小学生の藤野が背を向けて漫画を描いている姿が現れる。その藤野の姿にアニメーター自身を重ねているのだ。
「じゃあ藤野ちゃんはなんで描いてるの?」という藤野に向けられた京本の問い、もう少し言うと原作者の藤本タツキの問いを作品を作っているアニメーターが受け取っている、そのことを示すために作中のキャラクターを描く誰かがいることを見せたのだと思う。藤野の顔が描かれているときに発せられるグチのような藤野の言葉もアニメーターの言葉なのだろう。そう考えるとこのあとの回想で描かれるふたりの姿もアニメ制作にたずさわる人々にも見えてくる。作品を制作する希望や喜びを表しているように。
コミックスを読み終えて続きを待つ誰かに京本を重ねて藤野は立ち上がり漫画を描きに戻っていく。区切りがついたわけでも割り切れたわけでもないだろうけれど。
12.藤野にとっての京本
藤野にとって京本はなんだったのだろうと思う。
作中、京本に対して感謝を表したりねぎらいの言葉をかけている様子はなくて「私の背中を見て成長するんだな」などと小面憎いことを言ってたりするのだが、大切な人間だと思っているのは間違いない。友人、仲間、ライバル。全部のようで全部合わせたものを越えた何かがあると思えてならない。
アニメでは、手を引きながら振り返る藤野の目に映った京本があまりに美しく輝いてみえるのだ。尋常ではない感情を表現してないか。それは何。
藤野は京本を愛していたのではないのか。原作でもアニメでもいわゆる百合的なものは全く匂わせていない。そのような恋愛感情とは違う、深い愛情を抱いていたような気がする。自身に幸福をもたらしてくれる、人生に意味を意味を与えてくれる相手に対する愛情と言っていいのか。
主題歌が聖歌を思わせる楽曲になっていて至上の愛(アメイジング・グレイス)あたりを思い起こしたりするのだが。
13.生きていた京本
作品本編と関係ない話。
映画館に行く前は原作は読んでいたけれどアニメについてはPVも観てなかった。Youtubeでこのアニメはすごいというコメントの動画を見ただけだった。
で、映画館から帰ってきてから舞台挨拶の動画を見つけて視聴したのだが、一瞬だけれど強烈な喜びの感情を味わった。
主演のふたりが登場して話し出したときのこと。
「ああよかった。京本生きてた」
などと感動していたのだ。
いや京本と違うし、とすぐに我に返ったのだが、今まで経験したことのない感情だった。藤野に感情移入していたのか京本に感情移入していたのか混乱したが、とにかくアニメ作中の京本の魅力がすばらしかったという話。
14.本編+
本作はアマゾンのプライムビデオで配信され、そちらも繰り返し観た。途中で戻したり止めたりできるので映画館では気づけなかったことに気づけたりもした。
さて配信では音声と字幕が多国語対応しているが、音声の「日本語の説明付き」がすばらしい。
場面説明のナレーションなのだが、ただの説明ではない。
まず台本がよくできている。本編の邪魔にならないどころか、ぼんやり見逃していたところに気づかせてくれる。そしてナレーションが絶品。落ち着いた声質で抑揚を押さえているけれど情感がたっぷり込められている。作品の理解と没入感が深まる。すばらしい。
ちなみに映画館ではオーディオコメンタリー付きの上映があったが監督と原動画担当の話で、リピーター向けボーナスのようなものだった(話は面白かった)。また上映期間終わり近くに監督や出演者のインタビュー映像付で上映されたようだが未視聴。ディスクが発売されたらナレーションやコメンタリーと併せて収録されるのだろうか。
アニメ映画を含めた『ルックバック』の感想や考察。勘違いや誤解があるかもしれないけれど。
1.天才の4コマ
藤野が4年生の学年新聞に描いた4コマ「ファーストキス」がアニメでショートストーリーのように描かれていた。
あのアイデアを4コマ漫画にしたら、普通はアニメのようになるんじゃないか。
・瀕死の男女が来世での再会を誓い合う。
・生まれ変わった女が男を待っている。
・隕石に生まれ変わった男が地球目指して飛んでくる。
・地球が破壊される。
起承転結がきっちりできている。
人が天体に生まれ変わるという意外性があり、最後に大規模破壊のカタルシスがある。最後の破壊をどう描くか、考えどころだと思う。理不尽に巻き込まれる人々を描くのか、女や男の視点を入れるのか、といった感じか。
ところが藤野は隕石となった男が飛んでくるところで終わらせている。オチを見せない。
結末を明示しないで終わる物語があって、絶望感をただよわせたり希望を持たせたり謎を解決しないままにしたりするのだけど、この4コマは結末が分かり切っているのでそのような読者の想像に委ねて終わるような話ではない。
オチを見せなくてどうなったか。「地球やばい」「みんな死んでしまう」というところで終わるのだ。緊迫感というほどではないにしろ、ちょっとした緊張感がある。コメディを緊張感を持たせて終わらせている。
これは尋常ではない。なぜ最後のオチを地球の破壊にしなかったのか。小学4年のセンスではないと思う。アニメでは藤野が考えに考えている様子を見せていたが、簡単に思いつける構成ではない。自身で「まあまあウマくできたな〜」というだけのことはある。
藤野は天才なんだという、ここはアニメを観なければ気づかなかった。
そしてこうも思う。
この4コマは藤野と京本の運命を描いていたのではないかとも思う。
親密なふたりが一度別れ、一方が再会を待ち望んでいるが、理不尽につぶされてしまう。4コマの成長した女の子は20歳、これは事件が起きたときの藤野と京本と同い年じゃないのか。またドライブ中の女の子が持っていた蝶の表紙の日記手帳、あれはスケッチブックや京本が藤野の4コマを集めていたスクラップブックを思わせる。「またわたしとキスをして」は「また一緒に漫画を」と言っているようだ。
2.出会い
卒業証書を京本の家に届けるよう頼まれた藤野は嫌がっているのだが、これは藤野の韜晦とみる。京本に会ってみたいと思っている筈だからだ。藤野は自分の筆を折らせた相手から逃げる性格ではない。京本の絵を見てがむしゃらに絵の練習を続けるやつだ。
京本の家で京本がいることに気づいた藤野は家の中に上がり込む。
そのまま証書を置いて帰る、あるいは玄関で出てくるまで呼ぶ、ということをしない。京本に会いに来ているのだから。
そして廊下に積み上げられたスケッチブックの山の中を歩いていく。
たじろいで引き下がったりしない。京本に向かって進む姿に何か藤野の強さみたいなのを感じることができたのはアニメで実際に動いている姿を見たから、かもしれない。部屋の前で4コマ漫画を描いたのはスケッチブックの山の中で高揚したものがあったからかもしれない。
藤野に会った京本の表情、動きは素晴らしい。京本の魅力が動きと声で何百%増にもなっている。「藤野せんせえ」から「またね」まで全部本当に素晴らしい。アニメでは京本をいかに魅力的に描くかに力が注がれている様子。それにより藤野の幸福感を表している。
3.踊る藤野
京本の家から帰る藤野の動き。
自分を打ちのめした京本にほめられ持ち上げられ、漫画を描くモチベーションが吹き上がっているのがわかる。
いままでの鬱屈が土砂降りの雨で表現されその中を飛ぶように進む。スキップから踊るような動きになっていく、藤野の高揚した感情の爆発が表れていた。めちゃくちゃ調子に乗っている、とも言える。
晴れ渡る空の下、ではないのが藤野の感情の激しさが出ているように思う。
天候についてもうひとつ。ふたりが漫画賞の結果のでている雑誌を確認するためにコンビニへ向かうとき激しく雪が降っていた。「藤野キョウ」が世に出た日だというのになぜ悪天候と思う。行く末の暗示なのか、ふたりのひたむきさを表しているのか。
4.京本と描く
中学に入って藤野と京本の共同作業が始まるのだが、考えてみると藤野のファンで彼女の漫画をみたいと言っていただけの京本が制作に参加する理由はない。
ネームを完成させた藤野がそれを京本の家に持ってくる、という流れだったのに、京本を自分の部屋に引っ張り込んで漫画を描かせている。「学校行ってないから楽勝です」という京本の姿は幸せそうだが、京本が自分からすすんで描きだしたわけではないだろう。藤野が賞に出す漫画を考えてると言ったとき、京本はただ藤野の作品を見たいと言うだけで自分描いてみたいというようなことは言っていない。
いったいなぜ京本が藤野とふたりで漫画を描くことになったのか。
京本に近くにいてほしいと藤野が願ったからだ。自分を認めてくれる存在が欲しかったのだ。6年の時漫画をやめたのは、京本に追いつけない、と感じたこともあるけれど周りに認めてもらえないことの方が理由として大きかったのではないか。友達や家族に否定され「なにやってるんだろう」とさすがに小学6年ではくじけてしまう。
自分を「漫画の天才」とたたえてくれる京本に作品を見てほしいと思い、もしかしたらネームを描いているうちに京本の手を借りることを考えついて自宅に呼んだのかもしれない。
そしてネーム原稿を読んだ京本の笑顔を見て、藤野はどうしても京本が欲しくなってしまった。藤野は、京本自身が絵を描ける人間だからいっしょに描いてほしいという理由を付けて共同制作に持ち込んだ。そうすれば漫画を描いている間は京本と一緒にいられる。京本がいれば漫画を描き続けられる。手を借りるだけではおさまらない感情にとりつかれてしまった。
京本は藤野の太陽になったのだ。
漫画を描いて京本と過ごす。藤野にとってそれが幸福な人生を生きること。
京本のおかげで漫画を描きたいという望みは叶えられる。そして京本と漫画を描くことで藤野はその先の夢を抱いた(のちに京本の死でこの夢は潰えるのだが)。
ふたりは完成した応募原稿を出版社に持ち込んでいる。郵送ではなく、藤野ひとりでもなく、わざわざふたりで直接持ち込んでいる。
応募原稿を持ち込む姿を京本に見てほしい、隣にいてくれたら自信を支えてくれると藤野は思ったのではないか。
後に賞をとり藤野のおごりで街に遊びに行くのもためらう京本が、いきなり東京の出版社に出向くなんてできるわけがない。藤野が強引に京本の手を取って引っ張っていったのだ。一緒にいてくれなければ困る、だから大切な京本を(本人は嫌がっているのに)連れて行く藤野。傲慢で自分勝手な藤野。
「完成するのに一年はかけちゃって」という言葉、謙遜のようだけど自分たちで1年で仕上げましたと言っているようにも聞こえる。学年新聞の4コマを「5分でかいた」とのたまったように。そして「背景なんて全部この子なんです」は京本を自慢しているのではないか。「ウチの京本」を見せに行く、というのもふたりで行った理由かもしれない(当の京本は顔も上がられないでいるけれど)。
韜晦の中に自信がちらちら見え隠れする、藤野らしい姿だと思う。
5.お礼は10万
漫画で賞を取り、街に遊びに行った帰りの列車内。藤野が「お礼は10万」と言った後にアニメではウソだとバラしている。原作ではなかったフォロー。
これ、フォローしておかないと藤野が鬼畜に見えるなんて理由ではないだろう。藤野が本気で言っていると受け取る読者や観客はいない。でも京本だけは真に受けている。言いっぱなしでは京本がかわいそう、なので京本を安心させるためにアニメではフォローの言葉を追加したのではないか。笑う京本の姿を見て観客も安心する。
しかし「部屋から出してくれてありがとう」と言われて素直に「京本のおかげで漫画を描くことができて賞までとれたんだよ。部屋から出てくれて本当にありがとう」などと答えていれば見ている方はもっと気分がよかった筈(10万は作中のギャグでもあるのでそういうわけにもいかないのか)。藤野はここでも素直に感情を表現していない。人にうまく気持ちを伝えられないなどというナイーブな藤野ではない。藤野のプライドの高さみたいなものを感じる。
6.幸福な日々
中学から高校の間にふたりは読み切りを7本発表している。
「メタルパレード」に1年かけたことを考えると毎日漫画を描いていたのではないか。毎日ふたりで一緒に過ごして漫画を描き続ける。藤野はもちろん幸せだ。京本も楽しい時間を過ごしていたのだが、外の世界の広がりを知り突き進む藤野の背中が遠くなるのを感じるようになる。アニメでふたりのつないだ手が伸びていく表現は観ているこちらも不安を感じた。事件の一報を受けた藤野の回想の中で京本は「もっと絵上手くなりたい」と言っている。単純な画力、事物を写し取ることは京本の方が上なんだけれど、藤野の絵の表現力に京本は自分に足りないものを見ていたのか。京本は先を行く藤野に追いつくために美大を志したのかもしれない。
あぜ道で京本が美大に行くことを告げたとき、藤野は例によってひねた言葉を発する。アニメではふたりの間を立木で割っている。「まあいいんじゃない」「私についてくれば全部うまくいく」などと藤野はここでもはっきり本心(離れないで)を出さない言い方をする。しかし京本が「藤野ちゃんにたよらないでひとりのちからで生きてみたい」と言ったところで藤野は感情的になる。それは藤野も京本に頼ることができなくなることだから。そのことをはっきり告げられたから。藤野は京本にそんなことできるわけがないと強い言葉を投げるのだが、「もっと絵上手くなりたいもん」と京本に言われて沈黙してしまう。ここでふたりは立木の同じ側にいる。絵が上手くなりたいという思いは同じだから。藤野はその思いを否定して京本を自分の近くに留めることはできない。
連載にあたって背景はアシスタントに任せることになるのだけれど、準入選の講評で高く評価されていたくらいだから作品の魅力を失いかねないし、(藤野ひとりが探すわけではないにしろ)京本の代わりはそう簡単に見つからないだろうと思う。それを藤野はなんとかしようとするわけで、これも漫画を描くために必要な力なんだろう。
7.シャークキック
連載漫画を描く藤野の表情、小学4年で京本に負けじとスケッチブックにペンを走らせていた姿を彷彿とさせる。当時のように、ひとりで漫画を描きながらどこかで京本を意識しているということを表現しているのではないかと思うのだ。
事件が起きる日、マンションの一室でペンを動かしながらアシスタントの件で通話する藤野は貧乏揺すりをしている。何をいらついているのか。京本のことをどこかで考えているに決まっているのだ。藤野の髪がぼさぼさに伸びているのも忙しさの表現かもしれないが、京本(ぼさぼさ頭)を忘れない、いつも意識していたいという思いがあるのではないか。
アニメではテレビで事件を知り京本に電話がつながらないでいるとき、母親からの着信音が鳴る。あれはわかってても驚く。藤野の耳に響いた音、悲報が届く恐怖を表しているのだろう。そして回想。ふたりで一緒に超作画で連載をやりたいという夢。京本と漫画を描いて抱くことができた夢。京本と別れてひとりで描いている間も思い続けていたことがここでわかる。それが潰えてしまった。
事件の経過がテレビの速報から新聞報道、「被告」と表現されているので事件後数ヶ月以上あとであろう雑誌記事で示される。「『シャークキック』休載のお知らせ」は事件後数週間後だろうか。藤野は京本の通夜に訪れているので時系列が少し乱れる印象だ。
8.京本の部屋の前で見た世界
スケッチブックの上のジャンプを手に取った藤野は、ときに逆向きにページをめくっている。過去の記憶をたぐっているように。ページの間に「出てこないで」の4コマが挟まれている。この4コマは現実のものだろうか。記憶を遡った藤野が、京本を外に出すきっかけになったものを幻視しているのではないか。ジャンプのページから顔を上げたところから藤野の目は現実から離れている。引き裂いた4コマがくぐる扉のノブは実際には握り玉なのにレバーになっている。非現実の扉であり、そこをくぐることのできる4コマも非現実の存在なのだ。
当方は藤野の夢想と解釈しているが、並行世界とも考えることができる世界が現れている。ただしいくつものあり得た並行世界の中からこの世界を選び取ったのは藤野だ。この世界には藤野の思いが反映されている。そして登場する「京本」と「藤野」はともに京本であり藤野でもある。
京本を失った悲しみから自責の念にかられた藤野は現実を否定しようとしたのだが、「京本」は現実をなぞる行動をする。せめて事件だけでも起きないようにできなかったのか。藤野は現実のできごと全てをこの世界でも再現しようとしている。今までの人生を否定できない、京本と過ごした日々をなかったことにはできない。ならば最後の瞬間に京本を救うことだけを願う。それは京本によって藤野が救われるというイメージを作り出すことでもある。アニメでは原作漫画と違い、夢想世界では「京本」は左利きのままなので藤野自身を「京本」の中に託しているようには見えない。でも藤野はふたたび漫画に向かうために京本の手を借りていると思うのだ。漫画をあきらめた藤野を京本が救う、そのイメージを藤野の精神は「京本」を救う「藤野」の姿で見せている。
9.救急車の行く先
救急車で運ばれる「藤野」を見送る「京本」の姿は、ふたりが最初に出会い別れるときの様子を思い起こさせる。しかしあのときとは違う。「藤野」はアシスタントやってねと「京本」に言葉をかけているが、「京本」は答えていないのだ。この場面は、再び漫画を描くという意志と喜びを表現しているだけではない。仰臥した人を乗せて走り去る車を静かに見送る姿は、別の状況を連想させるのではないか。
「藤野」を乗せた救急車は大学の前に立つ「京本」から見て向こう側の車線を走っていく。モデルとなった大学の前(西側)には南北(正確にはやや南西から北東向き)方向に二車線の道路が通っている。大学は正面を西に向けているので救急車は南北に走る道路の西側の車線を北に向かったことになる。この道路を道なりに進み、左へ向かい到着するのは山形市斎場。救急車の向かう先は病院ではないのだ。この夢想世界では「京本」も「藤野」もそれぞれ京本であり藤野でもある存在だと解釈しているので、あの姿は藤野が斎場に向かう京本の亡骸を見送っている姿とも見ることができるのだ(ちなみに近隣の総合病院である山形大学付属病院は逆方向、南向きに走った先にある)。
一緒に漫画を描きたい、また漫画を描きたいという願いを表しながら、藤野の精神は京本の死を受け入れ、彼の世へ向かう京本を見送ろうとしている。
10.帰宅する京本
雪道をはねるように帰宅する「京本」の動きがかわいい。
あの日自宅へ向かう喜びにあふれた藤野の姿ほど大きな動きではないが嬉しそうな雰囲気が感じられる。小学校のころ好きだった4コマを描いていた「藤野」に出会えた喜び。漫画を描く希望を得た藤野の精神が表現する喜びの姿。しかしおそらく現実の藤野はそのことをまだ認識できていない。自身で選びとった希望はまだ意識の奥底にある。
「京本」は藤野の4コマが貼られたスクラップブックを開く。本編に出てきた作品が並べられているが、掲載順になっていない。最初に京本の作品と並べられた「奇策士ミカ」と最後に京本といっしょに掲載された「真実」が同じページに貼られている。このページは京本を意識しながらひとりで描き続けた日々の象徴だ。そこから現れた白紙の4コマ原稿。
白紙の4コマ原稿を手にした姿、楽しそうに鉛筆を動かす様子はあの日京本の部屋の前で「出てこないで」を描いた藤野に似ている。そしてあの日と同じように、描き上げた4コマを扉の向こうに送る。「背中を見て」と京本が言っている、そう藤野は夢想してこの漫画を「京本」に描かせた。「奇策士ミカ」と「真実」、ふたつの4コマにはさまれた時間。ひとりで絵を描くことに没頭した日々の中から現れ描かれた4コマ。その日々を振り返って、思い出してという意味もあるのだろう。
「背中を見て」は現実の世に存在するはずのない漫画だ。自身の精神の奥で描かれたその意味を理解できたのか。藤野は奇跡のようなできごとが描かれた4コマを見て驚き、目を見開いた。扉の下をくぐって現れた京本が助かっている4コマ。扉の向こうに何かがある、もしかしたら絵を描いている京本がいるのではないか、京本の死をひっくり返す奇跡が起きているのかもしれない。藤野は何かを期待して扉を開けた。
11.部屋の中
藤野は扉を開けるがそこは京本のいない空間。奇跡はない。ただ京本のいない現実がある。
そこで藤野は、京本が自分の作品を何冊も買い雑誌のアンケートを送っていたことを知る。扉に掛けた馬鹿でかいサインの入った半纏。「藤野ちゃんに頼らないで生きてみたい」と言った京本が藤野を思い応援していたことを知る。京本にとって自身がどういう存在だったのか、自分にとって京本がどういう存在だったのか、思い起こす。
ここで画面はホワイトアウトしアニメのキャラクターである藤野の顔が描かれ始める。この絵は誰が描いているのか。藤野や京本ではない。それは「アニメーター」だと思う。このあと藤野の顔が消え、白い背景の中で小学生の藤野が背を向けて漫画を描いている姿が現れる。その藤野の姿にアニメーター自身を重ねているのだ。
「じゃあ藤野ちゃんはなんで描いてるの?」という藤野に向けられた京本の問い、もう少し言うと原作者の藤本タツキの問いを作品を作っているアニメーターが受け取っている、そのことを示すために作中のキャラクターを描く誰かがいることを見せたのだと思う。藤野の顔が描かれているときに発せられるグチのような藤野の言葉もアニメーターの言葉なのだろう。そう考えるとこのあとの回想で描かれるふたりの姿もアニメ制作にたずさわる人々にも見えてくる。作品を制作する希望や喜びを表しているように。
コミックスを読み終えて続きを待つ誰かに京本を重ねて藤野は立ち上がり漫画を描きに戻っていく。区切りがついたわけでも割り切れたわけでもないだろうけれど。
12.藤野にとっての京本
藤野にとって京本はなんだったのだろうと思う。
作中、京本に対して感謝を表したりねぎらいの言葉をかけている様子はなくて「私の背中を見て成長するんだな」などと小面憎いことを言ってたりするのだが、大切な人間だと思っているのは間違いない。友人、仲間、ライバル。全部のようで全部合わせたものを越えた何かがあると思えてならない。
アニメでは、手を引きながら振り返る藤野の目に映った京本があまりに美しく輝いてみえるのだ。尋常ではない感情を表現してないか。それは何。
藤野は京本を愛していたのではないのか。原作でもアニメでもいわゆる百合的なものは全く匂わせていない。そのような恋愛感情とは違う、深い愛情を抱いていたような気がする。自身に幸福をもたらしてくれる、人生に意味を意味を与えてくれる相手に対する愛情と言っていいのか。
主題歌が聖歌を思わせる楽曲になっていて至上の愛(アメイジング・グレイス)あたりを思い起こしたりするのだが。
13.生きていた京本
作品本編と関係ない話。
映画館に行く前は原作は読んでいたけれどアニメについてはPVも観てなかった。Youtubeでこのアニメはすごいというコメントの動画を見ただけだった。
で、映画館から帰ってきてから舞台挨拶の動画を見つけて視聴したのだが、一瞬だけれど強烈な喜びの感情を味わった。
主演のふたりが登場して話し出したときのこと。
「ああよかった。京本生きてた」
などと感動していたのだ。
いや京本と違うし、とすぐに我に返ったのだが、今まで経験したことのない感情だった。藤野に感情移入していたのか京本に感情移入していたのか混乱したが、とにかくアニメ作中の京本の魅力がすばらしかったという話。
14.本編+
本作はアマゾンのプライムビデオで配信され、そちらも繰り返し観た。途中で戻したり止めたりできるので映画館では気づけなかったことに気づけたりもした。
さて配信では音声と字幕が多国語対応しているが、音声の「日本語の説明付き」がすばらしい。
場面説明のナレーションなのだが、ただの説明ではない。
まず台本がよくできている。本編の邪魔にならないどころか、ぼんやり見逃していたところに気づかせてくれる。そしてナレーションが絶品。落ち着いた声質で抑揚を押さえているけれど情感がたっぷり込められている。作品の理解と没入感が深まる。すばらしい。
ちなみに映画館ではオーディオコメンタリー付きの上映があったが監督と原動画担当の話で、リピーター向けボーナスのようなものだった(話は面白かった)。また上映期間終わり近くに監督や出演者のインタビュー映像付で上映されたようだが未視聴。ディスクが発売されたらナレーションやコメンタリーと併せて収録されるのだろうか。
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